「イギリス船の船員による長崎港の評判」(明治時代の海外旅行記:正木照蔵『漫遊雑録』)


  こちらは日本郵船の社員だった正木照蔵が明治33年(1900年)に欧米各国を訪れたときの旅行記(『漫遊雑録』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


<正木照蔵>

1862-1924 明治-大正時代の政治家。
文久2年7月生まれ。兵庫県会議員,報知新聞記者をへて日本郵船に入社,外航課長などをつとめる。大正6年衆議院議員(当選2回,憲政会)。

正木照蔵

参考文献:正木照蔵 『漫遊雑録』 1901年 正木照蔵
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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ




●イギリス船の船員による長崎港の評判についての記述です。
単に人足のみにて石炭を積入るるには世界中、此地ほど速かなる所なく之に亜(つ)くが日本の長崎なりとは船員間の公評なり

其方法は石炭艀を本船に横付となし其石炭を笟に入れて炭船に運び入るる迄なれども一時間に三百頓(トン)位は造作なく積得る由なり

笟は長崎にて用ゆるものよりは数倍大きくし従て長崎の如く一つの笊(ざる)を次から次へ順廻はしに廻はし送るにはあらず初めより一人にて一笊を運び往くなり

正木照蔵 『漫遊雑録』 1901年 正木照蔵 p.238

【要約】
 船に石炭を積み入れるスピードはポートサイドが世界第一で、長崎港はこれに次いで世界第二だとイギリス船の船員が評価していたという内容です。

【備考】
 正木照蔵が乗っていたのはイギリスに拠点を置く「彼阿會社」(P&O)の「ペニンシユラ號」(Peninsular)で、この記述がなされたのはエジプトのポートサイドにこの船が停泊していた時のことです。
 関連:P&O Cruises

※Peninsular(1888)
201310061857530.Peninsular 1888 Green

※「Peninsular(1888)」の詳細データ(PDF)
https://www.poheritage.com/Upload/Mimsy/Media/factsheet/94228PENINSULAR-1888pdf.pdf

※エジプト、ポートサイド
ポートサイド(アラビア語: بورسعيد‎、翻字:Būr Saʻīd)は、エジプトの北東部、地中海沿岸にある都市である。エジプトの首都カイロから北東に約200kmに位置し、人口は約50万人。ポートサイド県の県都。スエズ運河の北端にあたる。

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 当時の外国人船員による長崎港の評判が分かる記述ですが、当時の外国人による旅行記などでよく見かける長崎港についての評判はその景観の良さについての記述が大半なので、このような「石炭を積入」れるという視点からの評判というのは今まで見かけたことがなく、そういった意味からも興味深い内容でした。

 長崎港の景観の良さについて言及している記述は大変多いのですが、二つほど例を挙げると次のようなものがあります。
実際長崎入港の際、眼前に展開する景色ほど美しいものは、またとこの世界にあるまいと断言しても、あながち過褒ではあるまい。

カッテンディーケ 『長崎海軍伝習所の日々』 1973年 平凡社 p.9
われわれはすでに港の美しさについて多くのことを聞いていた。しかしわれわれの期待は、現実によってまったく凌駕された。

そしてわたしが世界を周遊したかぎりでは、けっして何か類似のものを見た覚えがない。リオ・デ・ジャネイロ、リスボン、コンスタンチノープル(イスタンブール)は世界でもっとも美しい三つの港として有名であり、わたしもこの見方に同感であった。

しかし長崎の港口は、これら三港のすべてにまさっている。まるで自然がロマンティックな美しさ、愛らしさ、それに壮大さに関して成就しうるすべてをここに就中したかのように思われる。そのうえ日本の技芸がたとえ無意識であっても、全体の調和を完成させている。

ラインホルト・ヴェルナー 『エルベ号艦長幕末記』 1990年 新人物往来社 p.24

 ラインホルト・ヴェルナーの記述からは長崎港の景観の良さが広く知られていたことや、彼自身の目で見てもそれが際立っていたことが分かりますが、実際に世界中の港を見て回った彼の言葉からはより説得力を感じます。

※明治時代の長崎港
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※現代の長崎港
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 当時のポートサイドがどのような場所と認識されていたのかを把握するために他の文献も読んでみましたが、例えば1903年に発刊された「英皇戴冠式参列渡英日録」ではポートサイドについて次のように記述されています。

 要約するとスエズ運河の開通によってそれまで寂れた村だったポートサイドが一躍交通の要衝となり石炭を船に供給する場所となったという内容で、石炭の積み入れが早い事や物価が非常に高いことなどにも言及されています。
ポートセツドハ埃及領にして亞弗利加の北東端に位し、元と沙漠中の一孤村に過ぎざりしが、蘇士運河の開通と同時に歐亞交通の要路と變じ、且つ來往の船舶に石炭其他の供給を爲すを以て、商業遂年隆盛に赴き、大廈高樓甍を竝べ海岸の光景頗る宏壯なりと雖も輻湊せる船舶は概ね石炭搭載の爲めにして、随て碇泊時間甚だ短く、又一般の物價極めて不廉なるは、同港將來の爲め遺憾なりと謂ふへし、獨り石炭積載法に至ては、其の敏捷なること他に匹儔を見ず、一時間百頓を積入るるは、極めて容易の事業なりといふ。

小笠原長生 『英皇戴冠式参列渡英日録』 1903年 軍事教育会

 この他、1904年発刊の「世界一周実記」でもポートサイドの石炭積み入れの早さに言及しているように、ポートサイドに関する記述では大体このことが書かれていることから当時かなり有名だったことが分かります。
此港世界有名の石炭積入港にして、殊に人夫が其事に熟し積入をなすの迅速なる他に比類を見ずといふ

井口丑二 『世界一周実記』 1904年 経済雑誌社 p.113

 1898年発刊の「欧洲再航録」でもポートサイドは石炭の積み入れが早いといったことが書かれていましたが、興味深かったのはこの記述ではポートサイドと比べると日本の下関、小樽、長崎等の港の石炭の積み入れのスピードは比較にならないとされている点でした。
石炭其他の供給は悉く茲處に仰がざるべからざるを以て、大船巨舶帆檣林立し黑煙天に漲り晝夜欵乃の聲を絶たず、故に年々歳々市民の富と増進して益々膨張しつつあるは疑ふべからざる事實なり、

聞く處に依れば毎年英國より輸入する石炭は凡三十五万噸の巨額にして、其東岸炭庫には石炭充滿して更に一個の炭山を築き、常に七八隻の滊船繋錨して盛に其陸揚しつつあるを觀る、而して下等労働者の如きは大概之に依て衣食するもの多きより、其積入方頗る瞬速にして一時間平均百噸なり、

之を我下ノ關小樽長崎等の地に比す(※)れば其遅速殆ど同日の論に非らず、豈驚くべきの至ならずや、

※「比すれば」の「す」は、「す」の変体仮名でした。

坂本喜久吉 『欧洲再航録』 1898年 東京堂 pp.139-140

 此の点興味深かったのでより詳しく調べてみたのですが、ポートサイドと長崎港の石炭の積み入れの早さの違いというピンポイントな言及をしている参考文献が見つからず詳細は残念ながら不明でした。

 ただイギリス船舶の船員が石炭の積み入れの早さで大変有名だったポートサイドの次に、世界中の港の中からあえて長崎港を選んでいたことを考慮すると、長崎港の石炭の積み入れの早さも客観的に見れば十分に早いものだった可能性の方が高いのではないでしょうか。




キャプチャ

プリンセス・クルーズ(Princess Cruises)は、アメリカのサンタクラリタに本社を置くクルーズ会社である。以前はP&O Princess Cruisesの子会社であった同社は現在、世界最大のクルーズ船運航会社であるカーニバル・コーポレーションの傘下である。

プリンセス・クルーズ


 新型コロナウイルスの集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」などの運営会社は12日、全てのクルーズ船の運航を60日間停止すると発表した。新型ウイルスの感染拡大が続く中、乗員・乗客の安全を確保しながら運航を継続するのは困難と判断した。

 この運営会社は米旅行大手カーニバル傘下のプリンセス・クルーズ。保有する18隻のクルーズ船の運航を5月10日まで停止する。ジャン・シュワルツ社長は「われわれの会社の歴史の中で最も難しい決断だった」と説明した。

クルーズ船運営会社、全運航を停止 新型コロナ拡大で2カ月間 2020年03月12日

「そして未だに占領されている・・・」沖縄戦から75年。

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目の前で背中に被弾 死ぬ間際に兄を見つめた弟 寂しげな瞳が心の「遺影」に 
声絞り出し語った地上戦の記憶
1945年6月。横たわる弟が、寂しそうにこちらを見つめていた。3歳のぱっちりとした瞳。砲弾の破片が刺さった腹から血がにじんでいた。涙を流す力さえ、なかったのかもしれない。翌日か、翌々日に息を引き取るまでの顔が、今も石川仁栄さん(84)=浦添市=の脳裏に残る「遺影」だ。遺品も遺骨もない。「本当は話したくない。でも、今話しておかないと」と語り始めた。
続く↓

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大坂なおみ「まさか日本人から反感買うなんて」”意味深投稿”に関して弁明。

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大坂なおみさん「人生でこれ以上の誤解を見たことがない」。
猿の人形が「人種差別」とバッシング受けてコメント
テニス選手の大坂なおみさんが6月23日(日本時間)にTwitterに投稿した、猿の人形の画像が日本人などアジア系の人間を侮蔑するニュアンスで使われる「イエローモンキー」という言葉を連想させる人種差別だとバッシングする声が上がった。しかし、この画像は英語圏のSNSのネタ画像として一般的に使われているものだった。大坂さんはその後のツイートで、画像を「新型コロナウイルスに関連したもの」と説明。「人生でこれ以上の誤解を見たことがない」と戸惑った様子だった。
この猿は日本で1980年代まで放送されていたNHKの教育番組「大きくなる子」の人形劇のキャラクター。スペイン語や英語圏のSNSで、人形の目線が異なる2枚の写真を並べて、驚き、悲しみ、悲しみ、混乱、不快感といった様々な感情を表現するための画像として使うことが流行している。
このツイートに対し、猿の人形が黄色人種を差別する「イエローモンキー」を示している、との誤解が拡大。「イエローモンキーの日本人は黒人差別を見て見ぬふりするってこと?」「人種差別している」といったバッシングのコメントがリプライ欄に相次いだ。
Twitterユーザーの反応を受け、大坂さんは猿の画像のツイートを引用した上で、「私は新型コロナウイルスに関連してこれ(猿の画像)をツイートしましたが、日本のTwitterユーザーは私が彼らを“イエローモンキー”と呼んだと考えています。人生でこれ以上の誤解を見たことがありません」と投稿した。
写真を貼ったツイートには、意図について詳細な説明はない。
詳細↓




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外国人「フクロウはうつ伏せで寝ると知ったので画像を集めてみた!」

スレッド「フクロウはうつ伏せで寝るということを学べる画像を集めてみた」より。
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引用:Boredpanda


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
フクロウはうつ伏せで寝るということを学べる画像を集めてみた


2No infomation万国アノニマスさん
フクロウは最高だね!


3No infomation万国アノニマスさん 
夜ふかしor酒を飲みすぎてベッドに倒れる俺みたいだ!

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海外「世界中の人間がそう思っているだろ」7割の人間が在宅勤務継続を希望しているという日本のアンケートに対する海外の反応

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"Day 12. Working from home." by davidmulder61 is licensed under CC BY-SA 2.0

新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除されてから在宅勤務から通常勤務に戻る企業も増えてきました。
時事通信が5月に行った「労働に関する世論調査」によると感染収束後も在宅勤務を拡大すべきだという回答が7割に上ったそうです。
複数回答による在宅勤務のメリットとして最多の意見は「通勤の苦痛がなくなる」の68.2%、次いで「遠隔地でも働けるので、家賃や土地の安い場所で暮らせる」の50.6%、「家族などを介護中の人も働ける」の47.7%、「無駄なサービス残業が減る」の42.4%、「身体障害者が今以上に働きやすくなる」の41.6%と続いています。

在宅勤務を望む日本のアンケート結果に対する海外の反応です。


引用元:reddit.com

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