「マスク義務化を嫌がる米国人の主張がアホすぎる」

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「神様に与えられた呼吸を奪うのか」、マスク義務化に断固反対のアメリカ市民
米フロリダ州パームビーチ郡では、新型コロナウイルスの流行対策として、公共の場でのマスク着用を義務化する法案の採決の前に、委員会が市民の意見を聞く機会を設けた。
反対を唱える市民からは、マスク義務化は悪魔の法律だという意見や、共産主義の独裁体制だ、アメリカ国旗に対する侮辱だといった意見が聞かれた。
続く↓




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ぬいぐるみが手放せないゴールデンレトリバー、可愛すぎると外国人の心を掴むwwwww

スレッド「ぬいぐるみ無しでは家を出ない犬の写真をまとめてみた」より。海外サイトで話題となったゴールデンレトリバーのポイちゃんの画像と反応をまとめました。
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引用:Boredpanda


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
ぬいぐるみ無しでは家を出ない犬の写真をまとめてみた


2No infomation万国アノニマスさん
彼女はお腹が空いてただけなんだよ


3No infomation万国アノニマスさん 
あまりにも可愛すぎる!!!ポイちゃんは良いこだね!

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海外「日本で抹茶アイスが好きになった!」海外で紹介されたアイスのフレーバートップ20を見た海外の反応

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image credit:youtube.com

夏はアイスクリームが美味しい季節です。
アイスクリームは様々なフレーバーがありますがその中でも流行りに関係なく美味しいというフレーバートップ20を登録者数2200万人を超えるyoutubeチャンネルWatchMojo.com
で紹介していました。
日本で生まれた抹茶味もランクインしています。



引用元:動画のコメント

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外国人「戦前の日本の女子学生がガスマスク着けて行進してる…」

スレッド「1936年の東京でガスマスクを着けて行進する女子学生軍」より。
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引用:Reddit


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
1936年の東京でガスマスクを着けて行進する女子学生軍


2No infomation万国アノニマスさん
ホラー系ディストピア映画のシーンみたいだ 


3No infomation万国アノニマスさん 
街角で普通に歩き回ってたらホラーだな

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「ドイツで自転車に乗る人は免許証を保有しないといけない」(明治時代の海外旅行記:松井茂『欧米警察見聞録』)


 こちらは明治時代の官僚だった松井茂が官命によって明治34年(1901年)から明治35年(1902年)にかけて欧米各国の警察制度を視察したときの視察記(『欧米警察見聞録』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


<松井茂>

松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。

1901年から翌年まで欧米各国を巡歴し警察及び消防を視察、救助はしご車の輸入や救急自動車の導入に尽力する等、日本に於ける警察と消防行政の基礎を築いた人物である。

松井茂


参考文献:松井茂 『欧米警察見聞録』 1909年 警察協会
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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ




●ドイツでは毎年自転車の免許証を発行しているという記述です。
伯林(ベルリン)に於ては自轉車(じてんしゃ)の届出者は九萬(まん)人許(ばか)りもあり、又凡ての乗手は乗車券(Fahrkarte)を有すべきものである、

(中略)

千九百年に於て新たに許可を與(あた)へたる者は、六萬九千八百六十三人にして、千九百一年に於ては、七萬二千百八十六人である、尚此免許證は毎年一度與へるとの事である。

松井茂 『欧米警察見聞録』 1909年 警察協会 pp.71-72

【要約】
 ベルリンでは自転車を持っている人は全員免許証を持たなくてはならないという記述です。

【備考】
 最初これは自動車についての記述だと思ったのですが、自動車は別の箇所で論じられているのでこちらは自転車についての記述で間違いないようです。

 記述では「乗車券」「免許證」と二種類あるように書かれていますが、別の箇所では自転車に乗っている人が警察に処罰される場合として最も多いのは「乗車券」の不携帯とされていたので、おそらくここでの「乗車券」と「免許證」は同一のものだと思われます。

※1900年頃の西洋の自転車
bicycle-young-man-riding-a-bike-circa-1900

women-riding-bicycles-1900


 西洋での自転車の許可制(免許制)について他の記述が無いか探したところ、それに関連するものは見つからなかったのですが、当時の西洋の自転車事情について他に興味深い記述が1890年発刊の「自轉車利用論 乗方指南」で見つかりました。
本邦に於てハ未だ英佛等の如く自轉車學校及び練習所の設けあらざるなり

自轉車學校に入りて之を學バずとも少しく忍耐して朝夕一二時間つつ勉强すれバ凡一週間乃至三週間にて自由に乘り得るに至るべし

金澤来藏 『自轉車利用論 乗方指南』 1890年 金澤来藏 p.82

 こちらはイギリスやフランスには自転車学校が存在していて、それは日本には存在しないという内容です。また自転車学校に入らなくても毎日朝夕1~2時間ずつ練習すれば1~3週間で乗りこなせるようになるとも書かれています。

 自転車に乗るために1~3週間の練習が必要というのはちょっと理解が出来なかったのですが、「自轉車利用論 乗方指南」では別のページで以下のような、自転車に乗る練習をしているイラストが掲載されていました。
キャプチャ

 最初、現代のような自転車でイメージしていましたが、このような自転車であれば習熟に時間がかかるというのも無理はないかもしれません。

 ただ、自転車に乗る練習にこれだけ時間がかかるというのはこの文献くらいで他の文献、例えば1895年発刊の「少年教育遊戯」では三時間も練習すれば乗れるようになると記述されており、こちらは現代から見ても比較的常識的な練習量だと思います。
尋常の人は大抵三時間を經ば能く自轉車に慣るることを得るなり

嚶々亭主人 『少年教育遊戯』 1895年 求光閣 p.64

 自転車は明治の前半頃から既に日本に入り始めていたようですが、以下の文献を統合すると明治25-30年頃に日本中で一般的に使用されるようになっていったようです。
東京にて自轉車の流行は廿五年秋冬の交に弗々其頭角を顯はし、一昨年(廿六年)來俄に其數数増加し近來に至りては東京市のみならず、京都、大坂、神戸等の各地方にも傳播し、今や大流行を極むるに至り

社会叢書第3巻 『娯楽倶楽部』 1895年 民友社 p.48
洋式自轉車の、始めて我國に入りしは、明治十四五年頃印刷局へ三輪車の輸入あり、

二十二三年より追々流行となれり。されども、三十年ころまでは、實用よりは、寧ろ娛樂用のもののみ多かりし。

石井研堂 『明治事物起原』 1908年 橋南堂 p.227

 そのことは以下の電報配達が自転車に乗ってされるようになったという記述からも読み取れることではないでしょうか。(1895年=明治28年)
近頃電報配達が自轉車に乘りて電文を配達することを始めたり

嚶々亭主人 『少年教育遊戯』 1895年 求光閣 p.66
 この電報配達に関しては先日紹介した井口丑二の「世界一周実記」の記事でも少し取り上げていますのでご興味のある方はご覧ください。

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「石橋を叩いて渡る日本人、鉄橋を叩いて渡るイギリス人 etc」(明治時代の海外旅行記:井口丑二『世界一周実記』)




キャプチャ