世界はアメリカと中国どっちが好きかという地図を見てみよう

スレッド「アメリカと中国のどっちが好きかというデータ」より。
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引用:4chan4chan②


(海外の反応)


United States of America(USA)万国アノニマスさん 
アメリカと中国のどっちが好きかというデータ

青色:断然アメリカが好き
水色:若干アメリカが好き
ピンク:若干中国が好き
赤色:断然アメリカが好き


Kyrgyzstan万国アノニマスさん
どっちも好きじゃない、ただ自滅して欲しい


Russian Federation万国アノニマスさん 
俺は入試に受かったら中国語の勉強を始めるかもしれない

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「文句ばかり言っても仕方ないだろ」通勤ラッシュ復活で世間に不満の声上がる。

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「"密"に戻っている」「めっちゃ増えた」 6月からの職場復帰ラッシュで「満員電車」復活
6月1日から通常出社に戻った人は多かったようだ。同日午前中には、ツイッターに"満員電車"がトレンド入りし、電車に箱詰め状態になった通勤客の写真と一緒に「今日から電車めっちゃ増えたぞ」などと報告する人が相次いだ。見慣れた"通勤ラッシュ"が帰ってきた。
ジョルダンライブ!によると、7~8時台に首都圏を走るJR線を中心に「先週とはうってかわり、席が九割埋まってる」(中央・総武線各停)、「ホームはコロナ前の混雑具合」(上野東京ライン)、「混み方は緊急事態宣言前の『密』に戻っている」(りんかい線)といった声が相次いだ。先週から出社を続ける人々は、乗客の増え方に驚いたようだ。
ツイッター上で目立ったのは、久しぶりに満員電車を目の当たりにした通勤客からの不満だ。「ライブだめで満員電車乗るのはいいみたいなの滅んでほしい」と、現時点で小規模の開催しか容認していないライブやイベントに対して、満員電車を黙認する政府、自治体に対する不満が多かった。
中には、東京都が6月末までの営業自粛を要請しているパチンコ店を引き合いに出す投稿も。「ライブハウスやクラブ、パチンコより三密だし、密着どころの話じゃない」というのだ。確かに、他人との距離感そのものは、ライブ中の"モッシュ"と何ら変わらないように思える。
「テレワークが可能だと実証できたはずなのに、満員電車に乗るなんて」などと自粛期間中にテレワークで仕事ができることを証明したにも関わらず、のうのうと以前の出社体制に戻っていく様子に、ウンザリする人も多かった。
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外国人「世界にはこんな美しい鳩がたくさんいると教えてやる!」

スレッド「世界で最も美しい種類のハトを紹介していく」より。
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引用: Boredpanda


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
世界で最も美しい種類のハトを紹介していく
これはコアオバト


2No infomation万国アノニマスさん
ユニコーンフラペチーノみたいな鳩だな


3No infomation万国アノニマスさん 
俺の近所のこんな素敵な鳩は飛んでないぞ!

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麻生氏「日本は外国とは民度が違うんだよ」蓮舫氏「何様?#」【コロナ低死亡率】

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麻生氏、海外からの質問に「おたくとは民度が違う」⇒相手を絶句させる 
新型コロナ死亡率で持論
6月4日に開かれた参院財政金融委員会。「コロナ危機下でも日本が国民の自由を尊重したことは高い評価が得られる」として、麻生氏の見解を問うた自民党・中西健治氏の質問。
麻生氏は「自由って言うけど、憲法上の制約があったから、結果としてそうなっただけ。それでも効果があったというところがミソですかねぇ」と中西氏の指摘に疑問を呈し、「死亡率が一番問題。戦争もなにもみんな、最終的に死亡者が何人でその戦争が勝ったか負けたか、って言われるような話になりますんで」と持論を展開し始めた。
麻生氏は人口100万人あたりの死者数について「フランスは228人、アメリカが824人、イギリスで309人、日本は7人」と各国を比較。海外から日本の死亡率が少ない理由を尋ねる電話があったと明かした。
「私どもとしては、そういった人たちの質問には、『お宅とうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』と言ってやると、みんな絶句して黙るんですけれども」
「後の質問が来なくなるんで、それが一番簡単な答えだと思って。『クオリティが違う』という話をよくしてましたけど、このところ、その種の電話もなくなりましたから、何となく、(そうした認識が)定着しつつあるんだと思いますけれども」
麻生氏がこう答弁すると、周囲からは笑い声が上がっていた。
続けて、「島国ですから、連帯も強かったし、国民が政府の要請に対して極めて協調してもらった」と指摘。
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蓮舫氏、麻生氏の“民度が違う”発言に怒り「貴方はどれだけ偉いのでしょう」
蓮舫氏は、日本の新型コロナウイルスによる死者数が欧米に比べて少ないのは「民度のレベルが違う」からとする麻生氏の発言を報道する記事を引用し、「貴方はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣」と吐き捨てた。
「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わず、『民度』の違いとの認識を国会で披露。日本の財務大臣発言として海外に発信されてほしくない」と怒りをあらわにした。
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「日露戦争後、ロシア人が日本人に好意的だった理由 etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米歴遊日誌』)


 こちらは明治時代の政治家である長谷場純孝が明治39年(1906年)に欧米各国を訪れた時の旅行記(『欧米歴遊日誌』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述をまとめた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


<長谷場純孝>

長谷場 純孝(はせば すみたか、嘉永7年4月1日(1854年4月27日) - 大正3年(1914年)3月15日)は、日本の政治家。

1890年の第1回衆議院議員総選挙で鹿児島県から当選し、以降11回連続当選。のち政友会設立に関わる。1908年から1911年にかけて1度目の衆議院議長を務めた。

長谷場純孝


参考文献:長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝
関連記事
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【宣伝】暇劇の同人誌第二弾(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(入浴文化篇)』)が完成しました。

※YouTubeにも動画としてアップしました(https://youtu.be/-47_XCRBXhc)
[PR] 暇は無味無臭の劇薬のYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC_yC7ccaessdpgHzsoPD7Yw

明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ
https://www.youtube.com/playlist?list=PLuw-ZwMGqW3ZcmQICv8NxZpn0uiUzy1SM




●こちらは日露戦争後にもかかわらずロシア人が日本人に好意を抱いていたことについての記述です。
露国の人民は、我日本人に対して悪感情を有するの状なきのみならず、却(かえ)つて敬意を表し居るは誠に愉快の至に御座候、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 p.110


或る日本の役所の人が、丁度我々の着する前に、或所を通行して居つたら、其の所に同盟罷工の人達が、三百人計(ばか)り集つて居つて、其内の一人は、例に依つて露西亞の乞食見たいな事を云つて、日本人に無心を言ひ掛けた、そうした所が其内の一人が、飛び出して来て汝止め止め、此れは日本人である、日本人は我々の恩人である恩人に對(たい)し無禮(ぶれい)の事をしてはよくないから、それ丈(だけ)は止め止めと云ふて、其仲間から制したと云ふ事も事實(じじつ)であります、

何故それはそう云ふやうな事實になつて居るか、だんだん聞いて見ますれば、日露戰役に於て、八萬(まん)に近い兵が露西亞の各州、各軍團(ぐんだん)から日本の捕虜になつて居つた、そうして戰爭後日本から歸(かえ)つて露西亞の各州に散在し、而して日本の風景の美なる事、日本國民が露西亞の捕虜に對し、待遇の信切なる事に就て、非常に賞賛して話しをした、それから一つは、例の黨勢擴張(とうせいかくちょう)の爲めに、革命黨員等は特更に日本を賛賞すると云ふ、事實もあるやうに見受けました、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 pp.190-191

 要約するとロシア人が日本人に好意的なのでそれが何故かを尋ねたところ、戦争中日本の捕虜になっていたロシア人が親切にされたことに感銘を受けて帰国後にそれを話してまわったことと、反体制側のロシア人が戦争に敗けた政府を批判して日本を持ち上げていたことによるという内容です。

 一般的には戦争している/いた国に対しては悪感情を抱くことが普通だと思いますが、日露戦争からそれほど時が経っていない頃にロシアを訪れた長谷場純孝がロシア人が日本人に対して全体的に好意的だったと記述していたのは、その理由に彼が触れるまでは結構意外なもので興味深かったです。

 ただ長谷場純孝によればこの傾向は社会の階級によって違いがあって、このように日本人に対して好意的だったのは中流階級以下のロシア人であって、中流階級以上のロシア人は日本に対して報復の念を心の中に抱いているようだったと書き綴っています。

 たまたま以前、日露戦争中に日本の捕虜になったロシア人将校であるF・クプチンスキーがその体験を綴った「松山捕虜収容所日記」という本を読んだことがあるのですが、ロシア人から見た当時の日本の様子の一端を垣間見ることが出来てとても興味深い内容でした。

 以下は「松山捕虜収容所日記」でF・クプチンスキーが日本人について幾つか言及した箇所の引用です。
戦争で狂暴になった日本兵の捕虜取り扱いは必ずしもいいわけではない。平静をとりもどした彼等が優しい配慮を示すようになるまで、捕虜たちは耐えるしかない。
(中略)
日本人医師の気配りがある。昼夜枕もとにつきっきりで肉体的苦しみを患者とともに分かちあう日本女性の暖かく優しい看護がある。

F・クプチンスキー 『松山捕虜収容所日記 ロシア将校の見た明治日本』 1988年 中央公論社 p.20


日本人はだうたい礼儀正しく、よく気がついて、丁寧だった。特に将校がそうだった。しかし不思議なことに疑い深く、杓子定規だった。路上の見物人たちはとても控え目で、もの静かで、行儀が良かった。
(中略)
この人々がロシアで呼ばれている「非文化的なアジア日本」の民だとはどうしても信じられなかった。

F・クプチンスキー 『松山捕虜収容所日記 ロシア将校の見た明治日本』 1988年 中央公論社 p.72



●こちらは長谷場純孝がマレー半島のジョホール王国の宮殿を訪れた時の記述です。
宮殿内に飾り付けある花瓶の如きは、我國の製造品多く、九谷燒、伊萬里燒の如く、中には薩摩燒の贋物をも奇麗に並べ立て有之候(これありそうろう)、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 p.48

 要約するとジョホール王国の宮殿を訪れたとき、日本の焼き物が宮殿内に並んでいたという内容です。ジョホール王国について詳しい事を知らなかったので調べたのですが、1528年にマレー半島に建国された港市国家で、マレーシア、ジョホール州の前身であり現在も世襲によって王位が継承されているそうです。
 関連:ジョホール王国

 当時のジョホール王国はイギリスの傀儡となっていて、国王は贅沢な暮らしをイギリスにさせてもらってはいるものの実際は形式的な王位でしかないことに長谷場純孝は触れており、「實に憐れむ可き者なり」と結んでいます。

 そんなジョホール王国の宮殿に日本の焼き物があったというのはなかなか興味深い記述でした。当時の東南アジアで日本の焼き物がどれほど人気があったのかは寡聞にして知らず、一応調べてはみたもののよく分からなかったのですが、宮殿に置かれるほどだったというのであれば相当程度の地位を築いていたのではないでしょうか。



●こちらはハンガリーの首都ブダペストを訪れた時の記述です。
ブダベストは、バルガン半島の新興國にして、其國風人種稍(やや)我國と類似する所あるを以て、戰爭以來、特に同情を我國に傾注せし、關係(かんけい)あるを以て、余等の其地に至るや、市民は拍手喝采して歡迎し、或は走り来りて握手を要(もと)め、又は萬歲を唱ふる者多かりき。

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 p.119

 要約するとハンガリー人は日露戦争では日本を応援していたので、長谷場純孝がハンガリーを訪れた時大変歓迎されたという内容です。

 以前の記事で森次太郎が「欧米書生旅行」の中で船旅の最中にポーランド人から日露戦争勝利を祝われたことに触れている箇所を紹介しましたが、当時の旅行記を読んでいると東欧でこのように日本人が祝われることが多く、特にその中でもハンガリー人の歓迎が熱烈だったということが複数の旅行記から窺うことが出来ます。

関連記事
「アメリカの都市を日本の都市で例えると etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米書生旅行』)
彼等は日本の戰勝を非常に喜びつつ彼等自身のポーリツシであることを白狀した、予は面白半分に『君達は露西亞人であるゆへ予の敵でないか』といふたら彼等は『ポーリツシは露國人でも露國政府の敵である、日本の勝利を心より喜ぶ』といひ又(ま)た『波蘭土(ポーランド)人の戰場にあるものは鐵砲(てっぽう)を日本軍に向けて放たず空を射て居るのである、日本軍の大將黑木は波蘭土の英雄クロウスキーの末裔である』など眞面目に信じて居て話すのが可笑しい

森次太郎 『欧米書生旅行』 1906年 博文館 p.135

 日本人とハンガリー人が似ているという記述も当時の他の旅行記のどこかで読んだような記憶があるので、そのような記述も探したのですが探し方が悪かったようで見つかりませんでした。もし発見したらこちらに追記しようと思います。



●こちらは長谷場純孝がナイアガラの滝を観光した時の記述です。
流石は世界屈指の瀑布にして、其莊嚴雄大余をして覺(おぼ)へず快哉を叫はしむ、即ち國詩一首を口吟す。

ナイアガラ白羽の征箭の百千筋戰ふさまのすさましきかな

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 pp.152-153

 要約するとナイアガラの滝を見てとても感動したといった内容ですが、長谷場純孝はこの時「ナイアガラ白羽の征箭(そや)の百千筋戰ふさまのすさましきかな」と短歌を一首詠んでいます。

 明治時代の日本人が著した旅行記には現代の日本人から見ると色々な特色があるのですが、その特色の一つとして著者が旅行中に詠んだ短歌や俳句が掲載されている事が多いということを挙げることが出来ます。勿論、全ての旅行記でそうだというわけではないのですが、体感的には10冊旅行記を読んだらそのうち3冊くらいには著者の詠んだ短歌や俳句が掲載されているような印象です。

 既にこのサイトで紹介した旅行記の中だと、大橋乙羽は「欧米小観」の中でオーストリア、ウィーンを訪れた時に次のような短歌を詠んでいます。
野の山に さざ波のごと 連りて ふねならなくに 塔の先見ゆ

大橋乙羽 『欧米小観』 1901年 博文館 p.90
関連記事
「日本とフランスでの芸術家の社会的地位の違い etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米小観』)

 また森次太郎はアメリカ合衆国の自由の女神像を見学した時に次のような俳句を詠んでいます。
今朝の秋 女神の腹を くぐりけり

森次太郎 『欧米書生旅行』 1906年 博文館 p.85
関連記事
「アメリカの都市を日本の都市で例えると etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米書生旅行』)

 現代の日本でも短歌や俳句はある程度馴染みあるものではすが、短歌や俳句を旅行記の要所要所で詠んでいるものは見かけた記憶があまりないので、当時は短歌や俳句を詠むことに対する距離感が今よりもずっと近かった様子が窺えて興味深いです。

 明治時代に日本にやってきた外国人も日本人がよく詩を詠むことに言及していて、例えばロシア人の「スパルウヰン」は日本の詩について次のように述べています。
短歌を作ることは、ヨーロッパで詩を作るのとはわけが違ふ。ヨーロッパで詩を作ることは才能上の仕事であるか、または職業上の仕事である。
日本に於ける短歌は個人の要求であり,環境に對する自己の關係を表白する形式である。

スパルウヰン 『横眼で見た日本』 1931年 新潮社 p.265

 彼の指摘は当時の西洋人の指摘の中では割とよく見かけるもので、西洋では一部の人間だけが詩作をするのに対し、日本人の場合は身分の上下を問わず詩を作る、と言った感じで触れられることが多いです。



●こちらはリヨンで日本の羽二重が人気であることについての記述です。
里昻(リヨン)は我が國の福井縣(けん)が最も華客先(とくいさき)でもあるから、あすこに行けば日本の羽二重と云ふものを知らぬものは、女子供でもないやうで御座ります、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 p.173

 要約するとリヨンは福井県のお得意様なので、福井県の織物(羽二重)のことを子供や女性まで知っているという内容です。

 羽二重については詳しくないので調べてみたところ以下のように解説されていました。
生糸は、蚕(かいこ)の作った繭を水で煮て紡ぐことでつくります。このため、生糸には撚りがありません。これを経糸(たていと)と緯糸(よこいと)にし、交互に規則的に製織したのが絹織物です。
このうち、筬(オサ:たて糸の位置を整え、よこ糸を織りこむのに用いる織機の部品)の一羽(ひとは)に縦糸を2本を通した織物を「羽二重」とよびます。普通は平織りですが、綾羽二重や絞り羽二重などもあります。

福井と羽二重

 リヨンと羽二重の関係は初耳だったのでより詳しい事を調べてみたのですが、明治33年7月23日に出された官報第5116号にはリヨンで羽二重の需要が大変あったという領事館の報告が掲載されていました。

 リヨンと福井県に深い繋がりがあったということが窺える大変興味深い記述だったので、現代でもそのような関係が何かしらの形で残っているのか気になり調べてみたところ、以下(PDF)でフランスのローヌ・アルプ地方(リヨンが存在する地方)と福井県の繊維産業を比較して体質が似ている事と、2001年からローヌ・アルプ地方と福井県で技術交流がされている事が書かれていました。
 関連:https://cs2.toray.co.jp/news/tbr/newsrrs01.nsf/0/2AE8572931ADBBD54925838C002C1D60/$FILE/tre_a040.pdf

 リヨンと福井県が昔から繋がりを維持し続けてきたのかどうかまでは分からなかったのですが、福井県の方はこういったリヨンと福井県の歴史的背景を耳にしたことがあるのか大変気になる所です。



●こちらはフランスの議会での演説の長さについての記述です。
其の時の演説は、寔(まこと)に長い演説でありまして、日本の國務大臣のやうな、短い演説ではなかつた三時間聴いて居つたが、更に止める模様もなかつたから、私は歸(かえ)つて来ましたか、後にて聞けば其の演説は、六時間も續(つづ)いてやつたそうで御座います、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 pp.175-176

 要約するとフランスの議会を見学した時三時間たっても演説が終わらないので帰ったところ、後からその演説は六時間もかかったということを聞いたという内容です。

 最長演説記録について調べたところ、インド人の政治家であるV. K. Krishna Menonが1957年に安全保障理事会でカシミール地方に対するインドの権利を主張する演説を八時間行ったというギネス記録があるそうです。
 関連:V. K. Krishna Menon

 日本での最長演説記録は、枝野幸男による内閣不信任決議案の趣旨弁明の演説で二時間四十三分と言う記録になっていますが、これは当時ニュースなどで話題になっていたので記憶されている方も多いのではないでしょうか。
立憲民主党の枝野幸男代表は20日の衆院本会議で、安倍内閣不信任決議案の趣旨説明を2時間43分にわたって行った。長時間演説による抵抗戦術「フィリバスター」で、衆院によると記録が残る1972年以降で最長の演説だった。

立憲・枝野氏 抵抗戦術2時間43分 衆院最長記録 2018年7月20日

 当時の旅行記を読んでいると西洋諸国の国会演説が長いということに言及しているものはちらほら見かけますが勿論国によって違いがあり、例えば明治時代の政治家である田川大吉郎はアメリカ合衆国で代議士と会った時に演説の時間について次のような会話をしています。

 要約するとアメリカでは基本的に五分間しか演説できないので日本の政治家が十五分演説できるのを羨ましがられたという内容です。
 ワシントンで某代議士に逢ふたとき、日本人は大層長い演説をするさうなと問はれた。無論、議會の演説の話である。僕は、譯(わけ)が分からずに、そんな事はないと答へたら、何分間話すのか、その規定はどうなつてゐるのかと問はれた。そこで、規定も何にもない、米國にはあるのかと問ふたら、大凡五分間、それが一般の習ひと爲つて居るとの答へであつた。
 それから僕が、日本のは、凡そ十五分間くらいであらうか、或は十分間くらいのもあると語つたら、彼は羨んで、十分間なれば澤山(たくさん)だ、必要な議論は、それで遺憾なくやれると語つてゐた。

 彼は更らに、日本で長い演説は何時間位かと問ふたから、僕が二時間位であらうかと答へたら、彼は微笑し乍(なが)ら、米國には長いのがある、七時間、八時間やつたのもあつた。最も長いのは二十七時間も續(つづ)けたといつてゐた。こんなのは極端の例であらう。普通は五分以内に、簡明に述べ去るものと見える。彼は、僕等の十五分を羨んだに對し、僕は、彼等の五分を羨んだ。

田川大吉郎 『欧米都市とびとび遊記 』 1914年 二松堂書店 pp.270-271



●こちらはフランスの議会の様子についての記述です。
紀律の上からいひますれば、日本の議會(ぎかい)よりは餘程(よほど)不紀律のものであつて、我々の目から見ると、甚だ亂雜(らんざつ)なものであります、演説の佳境に入れば拍手喝采をする、又いやな所に行くとノーノーの言葉を發(はっ)する、一度に立って手を叩くと云ふ有様、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 p.176


議場が少しく騒ぐと、議長は卓子の上を笏みたやうなもので叩く、叩くと大概鎮まるが、若しそれで鎮まらぬと、机の上にある鈴を取つてチリンチリンと鳴す私が三時間觀て居る中に笏を取つたこと七回、鈴を振つたこと二回か三回あつた、其一般を見ても畧(ほ)ぼ御推察が出來ようと思ひます、

其点に於ては日本の議場の方は、誠に神聖である、議長の卓子に鈴は据えてあるけれども、殆ど二十二議會を開いて此鈴を鳴したことは實に唯一回である、まさしく是は良い事であらうと考へる、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 p.213

 要約するとフランスの議会は騒々しくて長谷場純孝が三時間見学している間に、議長が合計十回も笏や鈴を使ってそれを鎮めたということについてで、長谷場純孝はこれと比較して日本の議会は二十二回開かれたうち、議長が騒ぎを鎮める為に鈴を鳴らしたことが一度しかなかったことを良い事であると考えたという内容です。

 ただ長谷場純孝はフランスの議会が騒がしかったということを必ずしも悪い事であると考えていたわけではなく、別の箇所では「議員が熱心に己れが信ずる所に依つて、或は手を拍つとか、或はノーの聲(こえ)を發するとか、夫はそう云ふ場合もありませう」として、良く見れば「活発」で、悪く見れば「秩序が無」いようであるとしています。

 現代の日本の議会では「静粛に」はどれくらい言われているのか気になったので今年(令和二年)の衆議院本会議で議長乃至副議長が何度「御静粛に」と言ったか数えてみました。
 参考:本会議の会議録議事情報一覧

 6/4までの時点で令和二年の衆議院会議録は第22号まであり、そのうち議長乃至副議長が「御静粛に」と発言したのは以下の通りとなります。

 第2号(6回)、第4号(1回)、第8号(1回)

 全22回のうち三つの本会議で「御静粛に」という発言がされており、発言回数は合計で8回となっていました。イメージとしてはもっと多いかと思っていたので意外と少ないというのが正直な印象でした。



●こちらは日露戦争後に変わったことについての記述です。
一體(いったい)歐羅巴(ヨーロッパ)の有様は、日本が今度の戰に勝つた寔(まこと)に豪(えら)い事をしたと云ふ觀念を有して居ると云ふことは事實であります、それに就て日本人は、製作場、或は製造場と云ふやうなものを見る事は、是から甚だ六ヶ敷(むつかし)くなる事であらうと思ひます。

如何(いか)なれば、日本人は支那人と違つて頭が鋭敏である、日本人に機械を見せると、直くそれを見て拵(こしら)いて仕舞ふ、是は油斷のならぬ國民であるからと云つて、現に今歐羅巴に行って居る人々で、或る製造場に行つて、是迄は見せ居つたものを、拒絶されたことは幾度もある、

長谷場純孝 『欧米歴遊日誌』 1907年 長谷場純孝 pp.197-198

 要約すると以前まで日本人はヨーロッパの工場を見学出来ていたにもかかわらず、日露戦争に勝利した後はヨーロッパ人からの日本人の評価が上がったために工場見学を断られることが多くなったという内容です。

 日露戦争による影響の一つと言えますが、実際当時の旅行記を読んでいると日露戦争後はヨーロッパで工場見学が以前ほど簡単に出来なくなったという記述をちらほら見かけます。

 長谷場純孝は別の箇所で「大きな声では言えないものの」と前置きしつつ、ヨーロッパの工場を見学するために日本人技術者が自身の職業を偽装して訪れていたという例も紹介していました。




キャプチャ

英BBC放送によると、バーコウ氏が在任中に「オーダー」という言葉を発したのは1万4000回近くにのぼっています。バーコウ氏が議長に就任してから発言回数は急増し、EU離脱交渉が下院で審議されるようになってからその回数はハネ上がりました。

「オーダー(静粛に)」1万4000回 あの下院議長は「EU離脱は大戦後、外交上最大の過ち」と断言した

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