日本の教科書に乗っていた主要国一覧、お前らこれどう思う?

スレッド「これが日本の英語の教科書にリストアップされた国々」より。
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引用:4chan


(海外の反応)


japan 万国アノニマスさん 
これが日本の英語の教科書にリストアップされた国々
つまり日本における主要国だ、お前らこれどう思う?


Denmark万国アノニマスさん
the worldという素敵な国をいつか訪れたい


3France万国アノニマスさん 
アフリカと中東合わせて1つしかないのが笑える

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米大統領「私がこの国の法と秩序だ」国内の暴動に対し軍を出動。

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トランプ氏「ワシントンに軍派遣」緊急演説
黒人差別に対する抗議デモが全米に広がる中、トランプ大統領は、首都ワシントンへの軍の派遣を表明しました。兵士数千人を送り込む、ということです。
ワシントンでは、ホワイトハウスの前で大勢のデモ隊が火を放ち、市内でも略奪や破壊行為が横行しています。大統領は、「昨夜の状況は非常に不名誉だった。暴力は終わらせる」と強調しました。
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「花火師の心意気に感動した!」全国200カ所の夜空に打ち上げ花火【悪疫退散】

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夜空に届け、悪疫退散 全国200カ所で花火打ち上がる
全国各地で1日午後8時、一斉に花火が打ち上げられた。新型コロナウイルスに負けないように花火で元気や希望を届けたいと、若手職人らが企画した。
名付けて「全国一斉悪疫退散祈願 Cheer up! 花火プロジェクト」。
観客の密集を避けるため、打ち上げ場所は事前には非公開に。47都道府県の約200カ所で、160超の業者が参加した。
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「日本人とアメリカ人では散歩観が違っている etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米遊記』)


 こちらは明治時代の教育者である川田鉄弥が明治41年(1908年)に欧米各国を訪れた時の旅行記(『欧米遊記』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述をまとめた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


<川田鉄弥>

土佐群初月村(高知市)出身。川田惣七・丑子の長男。 7歳の時に実父が死去し、坂本牛太郎が川田家をつぎ、その養子として育てられる。1892(M25)高知県尋常中学校(追手前高校)卒業後、上京して東京帝国大学分科大学に入り1899(M32)卒業。 同年9月文部省に入り、翌年1月陸軍幼年学校教官となり、東京専門学校(早稲田大学)講師を兼任。 教員生活で一貫教育の必要を痛感して退職し1903(M36)4月東京帝国大学卒業生として初の東京府小学校教員の免許を受け高千穂小学校を創立し、校長に就任。

川田鉄弥


川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校
関連記事
【宣伝】暇劇の同人誌(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(絵画篇)』)が完成しました。
【宣伝】暇劇の同人誌第二弾(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(入浴文化篇)』)が完成しました。

※YouTubeにも動画としてアップしました(https://youtu.be/cAZ741AKSfs)
[PR] 暇は無味無臭の劇薬のYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC_yC7ccaessdpgHzsoPD7Yw

明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ
https://www.youtube.com/playlist?list=PLuw-ZwMGqW3ZcmQICv8NxZpn0uiUzy1SM




●こちらはアメリカ人と日本人の散歩の捉え方の違いについての記述です。
彼の國の人は、散歩に誘ふと、格別の差支がない限りは、必ず一處にやつて来る。元來運動のため、躓の向く處に逍遥するのであるから、理屈ばつた話などせずに、あたり障りない快活な話などしながら、歩いて歸(かえ)る。行先を聞いてから、それなら今日はよしませうなど云ふやうな人はない。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.46-47

 こちらはアメリカ人の散歩は気楽なもので、日本人の散歩は理屈ばったところがあるという記述ですが、川田鉄弥が日本人は散歩をする時、目的地を尋ねてそれが自分の行きたいところと合致していなかった場合行くのを止めてしまうという指摘は当時の日本人の散歩感のようなものが垣間見れて面白かったです。

 あえて川田鉄弥がこのような例を挙げたということは、おそらく当時の日本では誰かを散歩に誘った時にこのような断られ方をするのがある程度一般的なものだったのではないかと推測できますが、もし仮にこれが当時の日本で一般的だったのであれば、現代とは散歩に対する考え方が随分違っているのではないでしょうか。

 現代の日本だと散歩というのは大抵の場合、特に目的地を定めることなくぶらぶら歩くというものとイメージされていると思うので、「外に出るのが億劫だから」という理由で断られることはあっても散歩の目的地を尋ねて断るということはあまりない気がします。子供の場合は散歩の目的地を聞いてきたりすることもありそうですが、大人の場合はそのようなことはまず無さそうなイメージです。

 この当時の日本人の散歩の捉え方について興味を覚えたので、他の文献も紐解いてみたところ、1902年発行の「家庭の和樂」では散歩について以下のような記述があるのを見つけました。こちらを見ても当時の日本人は散歩は用事があるからこそするものだという考え方が一般的だったのではないかと推測することが出来そうです。

用事もないにさうぶらぶらと歩かれる者ではない、とはよく聞く言葉であるが、それは矢張り籠城主義から割りだした考へで、散歩の必要を知らず、散歩の習慣を作らぬからである、用事のないに、ぶらぶらと歩くこそ散歩が面白いので、其面白みを覺えて來れば、少しの間を盗んでも、ツイちようと出て見たくなるものである。

堺枯川 『家庭の和樂』 1902年 内外出版協會 p.379



●こちらは海外旅行前に川田鉄弥が他の日本人から事前に注意された外国でのマナーについての記述です。
出發前先輩諸氏に注意せられたる事項二三を左に示さん。

其一 乘船切符購入の際、職名身分を詳(つまびらか)に申し出づべし。
其二 食卓着席順は、事務長の定むる所なるが、船長の右第一を上席とし、左第一を次席とし、身分に從ひ、交互順次に席順を定むる事と心得べし。
其三 料理店・旅館等に飲食物を持ち込まざるは、紳士の所爲(しょい)なるべし。船も一種の浮旅館なれば、ボーイなどに、日切料二十五錢乃至五十錢ほど與(あた)ふべき習ひなど思ひ合せば、バアーにて、欲しき飲料を買ふ方、却(かえっ)て經濟なるのみならず、紳士の體面(たいめん)を保つものと知るべし。
其四 邦人の打ち集ひて洋食せるを、外人より見れば。鳥の水を飲むが如く、頭を上下するが故に、體裁(ていさい)見苦し云々とかや。されど、上品に、行儀よく食すれば、本元の外國人に優ることあり。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.27-28

 こちらは川田鉄弥が欧米を訪れる前に日本人から気を付けた方が良いと注意された海外でのマナーなどについての記述で、①が身分証明について、②がテーブルでの上座と下座について、③がチップについて、④が洋食マナーについての内容になっています。

 あえて上記のような注意を事前に受けたということは当時このような失敗をする日本人が多かったということなのでしょう。①②③は特に言及する内容ではないかと思いますが、④は当時の日本人がまだ洋食の際のマナーに不慣れだった様子が垣間見れて興味深い記述でした。

 食べる際に「頭を上下する」というのはスプーンを口元に持って行かず、顔を皿の方に近づけて食べていたということなのでだと思うのですが、現代だと日本の料理文化に洋食はかなり溶け込んでいるので十分浸透しているマナーと言えると思います。

 当時の洋食の作法がどんな感じだったのか興味が出たので色々調べてみましたが、1901年発行の「普通礼式」の洋食マナーの項目では「魚中心の日本料理とは違い、西洋料理では鶏肉などがよく出るのでちゃんと噛まないと消化不良を起こしてしまいます」といった感じのことから説明されていて、まだ洋食が一般的でなかった当時の日本の様子がよく分かり大変面白かったです。

 参考文献:香雲軒 『普通礼式』 1901年 盛林堂 p.50



●こちらは航海中の船内での日本人の様子についての記述です。
兎角(とかく)、日本人は、航海中も、船室に引込んで、内氣に流れるが、外人は甲板で、輪投げをやつたりして快活に活發(かっぱつ)に、善く遊んで居る。
今後、外人と共に、事業を營むことが増加するであらうが、或程度迄は同化してやらないと、全然性格を異にして居らるるやうに思はれる節がある。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.33

 日本人があまり船室から出て来ないという言及は他の旅行記でも見かけることですが、甲板に出て積極的に外国人と交流していたという言及がある記述も同様に多く見かけるので、おそらく外国人と比較すれば日本人は船室に籠りがちだということを川田鉄弥は言っているのでしょう。

 先日の記事で紹介しましたが、仲小路廉は「欧米巡遊雑記」の中で船旅で特に苦労したことについて船室が暗かったことを挙げているので、なかなか船室にばかり籠っているというわけにもいかなかったことだろうと思います。

関連記事
「米国での社会的地位は金で決まる etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米巡遊雑記』)
薄暗き「キヤビン」内にて「フラフラ」痛む頭を押へ、「コツコツ」鞄を引き繰り返し底の方より衣服や「シヤツ」を引きずり出し、先づ一通り揃ひたる積りにて、例の如く「シヤツ」を引き被り襟を付け、紐を掛けて見れば這(こ)は如何(いか)に一つ釦(ボタン)が不足なるより更に又鞄を開き、中を掻き囘(ま)はし、漸(ようやく)にして搜し當(あた)れば、又外に不足の物を見出す抔(など)、始終如斯(かくのごとき)苦を爲すには實(じつ)に堪へ難き所にして、之れには流石の一行も染み染み閉口したる所なりき、

仲小路廉 『欧米巡遊雑記 米国之部』 1900年 長谷川友次郎 p.15



●こちらは当時の外国人の日本案内記についての記述です。
概ね皆海外人士の日本遊覧を試みんとする際に、極めて便利なる案内記なり。只惜むらくは、其内容、動(やや)もすれは、日本の実情を写し得ざるものあり。甚だしきは母国に於る忌むべき風儀を針小棒大に記載し、之を繙(ひもと)く者をして、日本、来遊の好奇心を高めしむるが如き事なきを保し難し。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.36-37

 こちらはラフカディオ・ハーンやチェンバレン、シドモアなどの外国人による日本旅行記について内容の一部にちょっとしたことを大袈裟に記述して読者の好奇心を煽っているところがあると言った記述です。

 川田鉄弥がここで取り上げた外国人は当時の日本旅行記を書いた代表的な人物ばかりで、その内容も全体的には高水準な内容なのですが、それでも当時の日本人から見て大袈裟に記述している箇所があるという感想を抱いたというのはとても参考になる記述でした。

 現代の日本人から見てもある程度は分かる部分もありますが、当時の日本人とは随分考え方も違い、様子も様変わりしているので当時の人でないと気付けない違和感は多いはずなので、そういう意味でも外からの視点と内からの視点の両方に目を通すことの重要性を改めて感じました。

 同じことは日本人の海外旅行記についても言えると思いますので、日本人が見た当時の国の様子だけではなく、当時の外国人から見た自国の様子の記述についても触れて行く事が大事だと思いますので、この手の記事でもなるべく拾い上げて行くようにしたいです。



●こちらはアメリカの公園を観た感想についての記述です。
只咸(かん)じたことは、公園内に「入るべからず」など書いた立札の、一つも見當(みあ)たらなかつたことと、彼の國の人々は、日曜などに、うち伴(つ)れて、この公園に遊び、樂しく半日を暮す美風のあることで、兎角、人々が勝手なことをしない。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.46

 面白かったのは、川田鉄弥が別の箇所で「日本のやうに、戸毎に、多少の庭園を有せる都市では、比較的公園の必要もないけれども」として、一方で外国では建物が多いので植物が少ないので公園の必要性が高いという風に言及していたことでした。

 勿論、公園が緑を豊かにするという役割を担っていることはいうまでもありませんが、現代だと公園の役割はどちらかと言うと遊んだり、身体を動かしたりする場所と言うイメージをする人が多いのではないでしょうか。

 当時日本人が散歩や外での運動をあまりしていなかったということは外国人がよく指摘していることであり、日本人自身よく散歩をしている外国人を見て言及していることなので、当時の日本人だと「公園」という言葉からは身体を動かす場所というよりは、川田鉄弥のように庭園といった役割を担っている場所というイメージをする人がもしかしたら多かったのかもしれません。



●こちらはネイティブアメリカンについての記述です。
亞米利加印度人が、新大陸に住んでゐたが、其後、續々(ぞくぞく)と歐州文明人士が移住してまゐつたので、優勝劣敗の餘、銅色人種は、西北部に遂ひ込められ、人口も年毎に減少して現今は、二十五万人位になつたのである。博愛主義に豊かな米人は、それを氣の毒に思ひ、彼等の末路に同情を寄せ、一定の地を與へ、特に保留所を設け、保護せられて居る。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.56-57

 こちらはそもそも取り上げるべきかどうかを悩んだのですが、現代的な視点で見ると大分考え方が違うので学術的関心という点で取り上げる価値があると判断して紹介しています。

 辺境に追いやられ人口が減少したネイティブアメリカンに対して、アメリカ人がそれを気の毒に思って保護したという内容ですが、最初これを読んだ時は川田鉄弥によるアメリカ人への極めて痛烈な皮肉なのかと思って前後の文章を何度も読み直したのですがどうやらそのような皮肉ではなさそうでした。

 アメリカ人が博愛主義に富んでいる可能性までを否定する気はありませんが、少なくともネイティブアメリカンを追いやった側であるアメリカ人をこのように評価するのは現代社会であれば炎上が起きることになりそうです。

 果たしてこういった考えが当時どれ程一般的だったからは分からないので、川田鉄弥個人の考えでしかない可能性も十分ありますが、本作を読む限り川田鉄弥は当時の他の日本人と比較して愛国心に若干富むものの充分常識的な範疇の考え方をする人物という印象だったので、かなり衝撃的な部分でした。



●こちらはイギリス人が列を作ることについての記述です。
其門扉の開かるる迄、到着の順序に、斯(かく)の如く、後へ後へと並び、秩序正しく二列になつて居た。是れは、英國の慣習である。上下を通じて、斯くもあるかと、美風を羨ましく思つた。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.125-126

 こちらはイギリスの劇場前でイギリス人がきちんと行列を作って始まる時間まで待っている様子を見て川田鉄弥が羨ましい習慣だと思ったという記述ですが、当時からイギリス人がきちんと行列を作っていたという点と、それを川田鉄弥が羨ましがったという点は興味深いものでした。

 現代の海外掲示板を覗いているとイギリス人はよく行列をつくる国民だとネタにされており、このサイトでも何度か紹介したことがあるのでご存知の方も多いと思うのですが、当時からイギリス人がきちんと行列を作っていたというのは、時代によって変わらないイギリス人の習性が見られるようで面白かったです。

関連記事
外国人「イギリス人は何処だろうと無意識のうちに列を作ってしまう」海外の反応 
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 また、川田鉄弥がイギリス人がきちんと行列をつくっている様子を見て羨ましいと思ったことからは当時の日本ではそれが一般的ではなかったということが窺える記述で大変興味深いものでした。

 現代だと海外掲示板などでは日本には列を作る文化があるという指摘はよくされていますし、むしろ旧聞に属する話ではありますがこれが日本では比較的新しいものだというのは意外なものでした。
 関連:Japan Earthquake and Tsunami 2011, a Queue, Crowd Control, How You Can Help



●こちらは当時のイギリスの習慣の変遷についての記述です
近時、其風俗が、以前に比べ、稍々(やや)移り変つたらしい。
(一)婦人の間に、喫煙の兆しあること、
(二)男女手を携へて、往来する風習減少せること、
(三)衛生上、接吻の害を説き、日本流のお辞儀を必ずしも非認せざること、
(四)シルクハツトを濫用せざることなどは、以前に比べ、著しい相違であるさうだ。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.133

 当時のイギリスの習慣がそれまでと違い幾つか変わったという指摘ですが、現代から過去を見た場合どうしても時代区分はざっくりと分けるしかなく、当時の風習の変遷なども鈍感になってしまいがちですが現代でも数年経てば流行が全然違っているように、当時であってもそれが変わらないことは文献などを読んでいても明らかです。

 この記述での習慣の変遷はあくまでも「らしい」と伝聞形なので実際は違っていた可能性はありますが、それでも当時のイギリスの様子を窺うことのできる興味深い記述であると感じました。



●こちらはフランス人と日本人の身長についての記述です。
英米二國の人士に比べると、佛國人士の身の長けが、日本人と比べて大差なきに、心を慰めつつ一口に西洋人とは云ふものの、男も女も、米に・英に・佛に・獨に・露に、各々多少の相違あるを認めた。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.142

 アメリカ人やイギリス人と比べるとフランス人の身長は日本人と同じくらいで心が慰められたという記述ですが、1900年頃の日本人の平均身長は以下のサイトによれば男性が157.0cm、女性が147.0cmだったとのことなのでフランス人の身長が低めだったということが意外でした。
 関連:https://graphic-data.com/page/sport/001.html

 テュービンゲン大学の研究によると1810-1980年(出生年基準)までのアメリカ人、イギリス人、フランス人の平均身長の推移はこのような感じらしいので、確かにアメリカ人、イギリス人と比較するとフランス人は身長が低いので川田鉄弥が心を慰められたのも理解出来ました。
 キャプチャ
 https://ourworldindata.org/human-height

 現代の平均身長の比較だとフランス人の平均身長はwikipedia(2003-2004年)によれば男性が175.6cm、女性が162.5cmで、日本人の平均身長(2010年)はこちらのサイトによれば男性が171.5㎝で、女性が158.3㎝とのことでした。



●こちらはイタリア人と日本人が似ていることについての記述です
途中の各驛(えき)で、伊國人を見る都度、身の長(た)け、略(ほ)ぼ日本人と同じいばかりでなく頭髪も黒きにつけ、巴里で買物にまゐつた際に、伊國人にやと尋ねられたも、無理でなかつたと思つた。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.166

 こちらはイタリア人が日本人に似ているという記述ですが、明治時代の日本人の海外旅行記を読んでいると外国人からイタリア人と間違われたという話や、イタリアを訪れると日本と似ていて驚いたといった記述はよく見かけます。

 また単なる外見的特徴だけでなく文化や習慣などについてもイタリア人は日本人と似ているとされることが多く、例えば1918年に発行された日本青年教育会編の「世界一周」では日本人とイタリア人の似ている所について次のように触れられています。

伊太利という國は頗るよく我が國に似た點が多い。

(中略)

人間やら田舎の家のつくりやら洗濯物を干す工合やら、何から何までよく似通つてゐる。水田が開けてゐ、苗を植ゑたりする有様やら、食べ物なども魚を澤山用ひ、佛蘭西あたりの料理よりも日本人の口に適ふ。又マカロニ―といつて日本の饂飩によく似たものまでも出來てゐる。
火山が多くて地震が頻繁であるなども、よく似てゐるが、言葉までも總べて語尾が母音で終つてゐるので、無意味に聞いてゐると日本語かと怪しまれる。

日本青年教育会編 『世界一周』 1918年 日本青年教育会 pp.107-108

 現代だと日本人とイタリア人が間違われるという話は聞いたことがないので、海外のネットでそういう話は出ているのか軽くググってみましたが特にそう言う話は見つかりませんでした。

 ただ検索したとき予測検索で表示されたのが「japanese italian fusion」で、これは一体何のことかと思ったらイタリア料理的な要素が日本料理に取り込まれたものをそのように呼称しているようです。以下の記事の筆者はそういう料理のことを愛情を込めて「日本のスーパーマリオ料理」と呼称していました。
 関連:Super Mario Cuisine: Italian-Japanese Fusion at its Best!



●こちらはドイツ人が犬を愛好することについての記述です。
犬を伴れて居る紳士淑女の少からぬことである。然るべき家には、必ず犬を飼ひ、其犬に、人間同様の食物を食はせて優待するものと見える。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.187-188

 ドイツ人が犬を愛好するというのは割と有名なことなので知っている方も多いと思いますが、「帰ってきたヒトラー」という映画の中でもドイツ人の犬好きについて触れている部分があり、ドイツではそれほど犬を愛好する文化があるのかと感じ入った経験があります。

 この文化が100年以上前のドイツにも存在していたというのは大変興味深かったです。この歴史については定かではありませんが、ドイツの知識人(ショーペンハウアーなど)は犬を愛好しているというイメージがあるので、結構古い文化なのかもしれません。



●こちらは日本人とドイツ人の移民の特徴についての記述です。
海外至る處の都市に、獨逸(ドイツ)移住民の多いのは、其發展(はってん)驚くべきことであるが、之等の人々は、家族制度の下に生活してまゐつた日本人などとは、大に其趣味を異にして居らるる點(てん)がある。

それは、如何なる點であるかとふと、多少の資本を携へて、海外に出掛け、商店を設け、其の處で多少の利益を見定め、一端落付くと、本國のことはうち忘れ、全くその土地に歸化(きか)した人同様になることである。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.190

 ドイツ人は外国に移住したら本国のことをさっさと忘れてしまう傾向があるという内容ですが、川田鉄弥がこれを日本人と対比させているように、当時の文献を読んでいると日本人は移住をしてもなかなかその土地に馴染もうとしないとする言及はよく見かけるので国民性の違いが現われているようで興味深い記述でした。

 当時の日本人の著作を読んでいると海外で働き金銭を得て、それを日本に持ち帰るという意識が全体的に強いのでそういったところも影響しているのではないかと思いました。





キャプチャ

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https://ourworldindata.org/human-height


外国人「日本全国で一斉に花火が打ち上げられる!見た人いる?」

コロナ収束願い、各地で一斉花火…「集客しない」「5分以内」
新型コロナウイルス感染の収束を願い、各地で一斉に花火を打ち上げるイベント「Cheer up! 花火プロジェクト」が1日夜に行われた。 全国で花火大会の中止が相次いで決まる中、日本煙火協会青年部有志が、自粛に疲れた人たちに大空の花火を見上げて笑顔になってもらおうと企画した。 感染拡大防止のため「集客しない」「打ち上げ時間は5分以内」などを条件に全国の花火業者に参加を呼びかけたところ、163業者が賛同。緊急事態宣言が全国で解除されたことを受け、1日午後8時から秋田県大仙市や東京都調布市、横浜市など各地で花火が打ち上げられ、夜空に大輪を咲かせた。(読売新聞)
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引用:Reddit


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
Cheer Up 花火
実際に見れた人いる?自分がいた埼玉は雨で何も見えなかったが…


2No infomation万国アノニマスさん
那覇で屋上から花火見れたよ、なかなか良かった
4分しか続かなかったしハート型の花火は逆さまだったが
それでもゲンキ100%になった気分だ


 unknown万国アノニマスさん 
逆さまのハート型の花火…つまり基本的には空に巨大なケツが浮かんだのか?


3No infomation万国アノニマスさん 
ちくしょう、自分は忘れてたし労いの花火としては少ないな

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「は?台湾は?」政府、最初の入国制限緩和対象4カ国をリストアップ。

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日本政府、タイなど4カ国から入国緩和…「韓中はまず除外」
日本政府が初めての入国制限緩和対象国としてタイ・ベトナム・オーストラリア・ニュージーランドなど4カ国を検討中だと伝えられた。
また、新聞は早期の入国緩和を求めた韓国と中国に対しては「第2弾以降になるとみられる」とし、まずず交渉対象から外されるものと見通した。新聞によると、日本政府は韓国で最近相次ぎ集団感染事例が発生したことを不安視している。
中国の場合、米中葛藤が背景とされる。米国の中国批判が強まっている中で、日本が往来再開を急げば米国の反発を招く可能性があるということだ。
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