外国人「東京のコロナ感染者が過去最多の366人、どんどん増えてるぞ!」

【速報】東京で約366人が新たに感染確認 過去最多
東京都できょう新たに366人が新型コロナウイルスに感染した事が分かりました。都内の1日の感染者数の過去最多となります。東京都の小池知事は先ほど、都内できょう新たに感染が確認されたのは、366人と述べました。都内の1日の感染者が300人を超えたのは初めてです。これまで都内で感染が確認された人数が最も多かったのは今月17日の293人でしたが、その数を上回り、過去最多となります。(Yahoo:FNN)
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引用:JapanTodayFacebookFacebook②


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
東京で新たに366人のコロナウイルス感染者が確認され1日としては過去最多の数字となった


2No infomation万国アノニマスさん
どんどん増えてるぞ!


3No infomation万国アノニマスさん 
一方で政府は経済のために旅行を国民に提案もしているのであった

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外国人「ゴーストオブツシマが日本で売れすぎて品薄状態らしい!」

スレッド「日本ではゴーストオブツシマが予測以上の売上で店頭では品切れになっている」より。
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引用:RedditReddit②


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
日本ではゴーストオブツシマが予測以上の売上で店頭では品切れになっている


2No infomation万国アノニマスさん
それだけの作品だからね


3No infomation万国アノニマスさん 
まあ当然だな
今自分は第二章に突入したあたりだが全てにおいて大好きだ
もう既に30時間は遊んでるはずだけど凄く良い出来だよ

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少女「両親が殺られたんで、その場でそいつ等も始末した」

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アフガン少女、両親殺害したタリバン戦闘員2人を射殺
アフガニスタンで、旧支配勢力タリバン戦闘員らに両親を殺害された少女が、戦闘員2人を射殺し、複数人を負傷させた。
事件は先週、中部ゴール州のある村に住む10代の少女、カマル・グールさんの自宅に、戦闘員らが押し入った際に起きた。
戦闘員らは、少女の両親が政府を支持しているとして家から引きずり出し、母親が抵抗すると、2人を家のそばで殺害。
家の中にいたグールさんは家族が所有していた自動小銃AK47を手に取り、まず両親を殺したタリバン戦闘員2人を射殺し、さらに数人を負傷させた。
グールさんの年齢は14~16歳。アフガニスタンでは、自分の正確な年齢を知らないことは珍しくない。
詳細↓

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外国人パパ「子供が描いたお絵かきを本気で再現してみたよ!」

スレッド「ある父親が子供の絵が現実だったらどうなるかを再現、恐ろしいほど愉快だ」より。イギリスのトム・カーティス氏による2人の子供の絵をリアルにするという企画が海外で話題を集めていたので反応をまとめました。
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引用:Boredpanda


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
ある父親が子供の絵が現実だったらどうなるかを再現、恐ろしいほど愉快だ


2No infomation万国アノニマスさん
キュートだね


3No infomation万国アノニマスさん 
きっとハリネズミの絵だったんだと推測してみる

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「西洋人と日本人の主婦では買い物の仕方が違ってる」(大正時代の海外旅行記:高原操『北半球一周』)


 こちらは大正時代の新聞記者だった高原操が、大正2年(1913年)に北欧を旅行した時の旅行記(『北半球一周』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


<高原操>

高原 操(たかはら みさお、1875年12月16日 - 1946年11月21日)は、日本のジャーナリスト。大阪朝日新聞主筆兼取締役編集局長。大正デモクラシーの第一線言論人。

高原操


参考文献:高原操 『北半球一周』 1919年 文雅堂
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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ




●こちらはデンマーク人と日本人の主婦の買い物の仕方の違いについての記述です。
コペンハーゲンの奥さん達は皆料理の鍛錬が嫁入り前に仕てあるといふ事だ。魚の買出しには自分で必ず出掛ける、凝(ぢつ)と見てると、なかなか審査に手間を取る、一クローネ(我が五十銭)位の鰈(かれい)を一疋(いっぴき)買ふのにさへ、七八の漁師に當()あたつて現物を熟視しては値を聞き、大小肥瘠それぞれ比較調査の上でなくては購(か)はぬ。

…時間は大分潰ぶるるに相違ないが、日本の奥様連が下女の奏問に下命して「何でも好いから魚屋が來たら御刺身になるものを取つて置き!大抵向ふが知つてるよォ…」と襖の蔭から被仰るのとは霄壤(しょうじょう)の差といふべきか、或はまた月と鼈(すっぽん)との違ひとでも謂ふか。

一體(いったい)西洋では、上流社會(しゃかい)は別として、年収五六千圓(えん)ぐらゐ迄の中流家庭の主婦は、野菜でも肉類でも自分で市場へ出掛けて選(え)りに選りて新鮮な値の安いものを買ひ出する事に善良な風習が出来てる。

高原操 『北半球一周』 1919年 文雅堂 pp.15-16

【要約】
 デンマークの主婦は自分で魚屋まで行って自分の目で見て選ぶのに対して、日本の主婦は家までやってきた魚屋の対応を下女に任せているという内容です。

【備考】
 現代の日本だと店まで行って買い物をする主婦の方が大半だと思いますが、当時の日本ではこのような買い方が一般的だったようで、当時の書籍ではこのような買い物のやり方を比較している記述はよく見かけます。

 例えば、1901年発刊の「米国漫遊雑記」や、1903年発刊の「家庭小話」でも西洋人の主婦が自分で店まで買い物に行く事と、日本人の主婦のやり方を次のように比較しています。
飲食用の買い物でも婦人が自身にサツサツと八百屋へでも肉屋へでも穀屋へでも出かけて往て、品の宜い價の割安なのを買てくる、

何事もお爨(さん)どん任せで、品物も見ずに肴屋や八百屋の御用聞から取寄せる東京流の婦人方とは、丸で行方が違つている、

食物は人間の活力を生ずる原料であるから、成るべく滋養のある宜いものを撰んで、而かも經濟的に遣るのが賢明な婦人のすべきことで、米國婦人などは卑いどころか、誠に見上げたものである。

日本の奥様や御嬢様が八百屋の店先に立とるのは外聞が惡いなど仰しやるのは、甚だしい御心違ゐである。

松井広吉 『米国漫遊雑記』 1901年 博文館 p.193
西洋では上流の家にでも、買物は、大抵奥様自身になさると云ふことです。

日本では中流以上は勿論、中流の奥様でも毎日廻りに来る八百屋、魚屋にすら御自分で應對なさらぬ方が多いやうで、猶更それらの買物にお出掛けなさるなどは一切ないやうに思ひます。

もとより東西習慣風俗を異んびして居りますこと故、奥様方に毎日魚屋の店へお立ち遊ばせとは、お勸め申上げ兼ねますが、買物をお手づからなさると云ふことは決して卑しい事や、吝嗇もののみのする事ではないかと存じます。

羽仁もと子 『家庭小話』 1903年 内外出版協会 pp.52-53

 ここでは店まで買い物に行くことは「決して卑しい事や、吝嗇もののみのする事ではない」としていますが、実際このような考えは根強かったようで他の文献でも似たようなことがよく書かれており、1907年発刊の「台所改良」では日本の主婦が店まで買い物に行く様子を知り合いに見られるのは恥だと考えていることを次のように諭しています。
日本の婦人は大根や人参を自身買ひに出ることを大層恥のやうに思つて居て、買出しに往つても知つて居る妻君達にでも逢はなければ宜いが若し逢つたら何うしやうと、歸りには裏道を廻り何んとなく恥入るやうな感念を抱いて居るものが多いやうですが之れは飛んだ考へ違ひで、羞べき事でも、笑はるべき事でもない、尤も美しい事で御座います、

天野誠斎 『台所改良』 1907年 博文館 p.220

※当時の買い物の様子(出典:天野誠斎 『台所改良』 1907年 博文館 p.219)
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 当時の日本人の主婦が家で買い物をする理由については1917年発刊の「貯金の出来る一家の暮し方」で触れられており、ここは建前だけではなく本音の部分にまで言及されているようで興味深い内容でした。
日本の婦人が、兎角自分の内に居て物を買ひたがるのは、一つは留守番が無いとか何とかで、買ひに出るに困ると云ふやうな事情もあらうが、それならば夜分にでも、休暇の日にでも、主人なり誰なりの内の居る時に出ればよい。畢竟は昔風の傲慢心が除かないのと、一つは全體に尻が重過ぎるのである。ま少し手輕にサツサと何處へでも往くやうに仕たいものである。

松雲堂編輯所編 『貯金の出来る一家の暮し方』 1917年 石塚松雲堂 p.113

 簡単にまとめると店で買い物をするのはケチで卑しい事とみなされており、あまり当時の主婦は外に出たがらないことから家で買い物をするというような感じでしょうか。

 当時の日本人女性が外に中々出ようとしない事については当時の日本人の旅行記の中でもしばしば何らかの形で言及されていて、例えば1910年発刊の「世界一周記」では著者はアメリカ人女性が外出している様子を目にして「日本なら、女が餘り外出してさへ、怪しむもの」と述べていますし、1924年発刊の「米国自動車横断記 行程七千里」でも「市中を歩いて居る女の多いことに驚いた」と触れています。

※関連文献
元來日本の婦人程外出卽ち日光浴を厭ふ國民はない。

山脇玄 『家庭経済講話』 1919年 東盛堂 p.26

 女性が外を出歩いていたら怪しまれるという雰囲気だと外出したかったとしても出来なかったと思われるので、こういうところも店での買い物がやりにくかった遠因かもしれません。


 記述内では下女の存在に言及されていますが、これについては先日1902年発刊の「世界読本」を取り上げた時にも触れたように、当時の日本では大抵の家庭に下女がいたそうです。
夫婦に一人の子供位の處ならば日本では、必ず下女と猫と位は附屬(ふぞく)してるのが當(あた)りまへで、又そうでなければ、行はれぬのであるが、西洋では家屋の構造から、食物などの工合が簡便に成つてをるから、その位の家では、妻君が中働きもやり、臺所(だいどころ)もするといふので、水入らずに暮してをる。

池辺義象 『世界読本』 1902年 弘文館 p.13
関連記事
「日本の軍艦がスエズ運河を通行して世界中で評判になった話 etc」(明治時代の西洋読本:池辺義象『世界読本』)


 当時の買い物の仕方について興味が出たので色々調べてみましたが今とは随分やり方や考え方が違っていました。例えば1917年発刊の「貯金の出来る一家の暮し方」では次のように現金で買い物をするのは毎回現金を用意しないといけないので大半の人にとっては面倒と書かれています。
物を買ふたび毎に金を拂ふと云ふことは、なかなか面倒なもので、それだけの金を始終用意して居らねばならぬ。餘程意思の强い人でなければ迚も出来ない。

松雲堂編輯所編 『貯金の出来る一家の暮し方』 1917年 石塚松雲堂 

 この「貯金の出来る一家の暮し方」によれば、当時は「帳面で物を買つて置て、月末に拂ふ」というやり方が便利で一般的だったようですが、このやり方だとついつい欲しいものは何でも買ってしまい月末になって請求額に驚く事になるので「成るべく現金支拂ひの習慣を附けるが宜い」とされていました。

 まるで現代におけるクレジットカードのような話で、こういう話を読んでいると人間というのは時代が変わってもあまり変わらないと感じられます。この頃の文献では「貯金の出来る一家の暮し方」と同じように他の大抵の書籍でも店先まで買い物に行って現金で購入することを勧めていましたが、それだけ異口同音に言われていたことからも当時そちらのやり方が主流だったことが窺えます。


 この帳面払いの罠には当時日本を訪れた西洋人も散々ハマってしまっていたようで、サイン一つでものが買えてしまうためついつい物を買い過ぎてしまい後々困ってしまうという記述は当時の西洋人の旅行記では散見されます。
あちらこちらで、二度とつけ伝票なんかにサインしないぞと反発して毒づく人がいるが、厳然として存在する誘惑に、あらがうことができない。

喉の渇きと、渇望する一杯との間を隔てるものが、一枚の紙切れに名前を書きなぐること以外に何もないとしたら、勝負は決まっている。渇きの勝ちだ。酒ほど効き目のない他のものであっても、同じように欲しくてたまらないものなら同じだ。

あの致命的な一枚の紙切れが、全てをあまりにも容易にし、行ないを改めるのを難しくする。

クラレンス・ルドロウ・ブラウネル 『日本の心 アメリカ青年が見た明治の日本』 2013年 桂書房 p.122

 以前ネットサーフィンをしている時にどこかで見かけたネタコピペの中に、日本に行くと買い物をし過ぎてしまうという噂を聞いて無一文でやってきたらクレジットカード限度額まで使ってしまったというものがあったのですが、それをどことなく髣髴とさせる話でした。




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