外国人「クソデカ動物がどれほど大きいか人間と比較していく!」

スレッド「多くの動物がみんなが思ってるより大きいと思い出させる写真を集めてみた」より。
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引用:Boredpanda


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
多くの動物がみんなが思ってるより大きいと思い出させる写真を集めてみた
自分はこの写真を見るまでクライズデール種の馬がどんなものか全く分かっていなかった


2No infomation万国アノニマスさん
なんて素敵な馬なんだろうか


3No infomation万国アノニマスさん 
クライズデール種は世界に5000頭しか残ってないと知ってたかい?


 unknown万国アノニマスさん 
それは悲しいね

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「ドイツ人がスープの皿にまで温度計をつけていて日本人が驚いた話」(大正時代の海外旅行記:青山哲四郎『亜米利加土産』)


 こちらは1918年に発刊された欧米旅行記「世界一周」で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


参考文献:日本青年教育会編 『世界一周』 1918年 日本青年教育会
関連記事
【宣伝】暇劇の同人誌(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(絵画篇)』)が完成しました。
【宣伝】暇劇の同人誌第二弾(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(入浴文化篇)』)が完成しました。

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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ




●こちらはドイツでスープの皿にまで温度計が使われていることについての記述です。
獨逸人の頭腦の如何に科學的であるかといふことは、例へば入浴するにしても、攝氏の三十八度と註文すれば、女中は其の加減を
して入れてくれる。近頃ではスープ皿にも寒暖計がつけてあつて、攝氏何度のスープなどといふ自分の嗜好に適したものを吸ふことが出来る
といふ工合(ぐあい)に、寧ろ奇抜に過ぎてゐる位である。

日本青年教育会編 『世界一周』 1918年 日本青年教育会 p.156

【要約】
 ドイツ人は湯温を指定すればその通りに準備してくれることを例に挙げて、科学的な国民であるとし、スープ皿にも温度計をつけて好みの温度で飲むことが出来るほどであるという内容です。

【備考】
 流石にスープの皿にまで温度計がついているという記述を見たのはこれが初めてのことですが、このように温度計を使って正確に計るというドイツ人のやり方に当時の日本人は驚いていて、旅行記の中で言及されているのをよく見かけます。

 このことは大抵、浴室に温度計が備え付けられているということで話題にされることが多く、それを以てドイツ人の事を杓子定規であったり科学的な国民であると述べている記述が目立ちます。

 以下の1901年発刊の「欧米小観」でもその話題に言及されていることは以前の記事で紹介しました。
殊に注意深き浴場には、湯の中に寒暖計を備へて、冷熱を計つてあるが如きは、實(じつ)に其用意の周到に驚かざるを得ないのだ。

大橋乙羽 『欧米小観』 1901年 博文館
関連記事
「日本とフランスでの芸術家の社会的地位の違い etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米小観』)

僕の泊つて居るホテルの風呂には寒暖計が備へ附けてあつて、是を以つて湯の温度を知る事が出來る様になつて居る。是も矢張り獨逸の規律的學術的に出來て居る一例と見て能からう。

坪井美雄 『異国土産蛙のたはこと』 1914年 東京国文社 p.150

※1900年頃のドイツの浴室
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 1924年発刊の「面白いうちに根本のわかる理科の話」によれば、当時の日本人はあまり温度計を使用したりしないのが一般的だったようなので、その分ドイツで盛んに温度計が用いられているのが印象的だったのかもしれません。
一般に日本人は寒暖計を利用せないで役に立たぬ無用の長物と見て居るものものある。これは温度といふことを知らない罪であつて、何も寒暖計の罪ではない。

水木梢 『面白いうちに根本のわかる理科の話』 1924年 三共出版社 p.105



 また、寒暖計に関して現代の当時の日本で違っていることに摂氏を使うか華氏を使うかということがあります。現代の日本人だと華氏表記をされてもよく分からないという人が大半だと思いますが、当時はそちらの方が主流だったようです。

 上述の記述内で「攝氏の三十八度」としているように明治~大正時代の日本でも摂氏表記は使われていたようですが、これはどちらかといえば少数派で当時の旅行記では華氏で記述されていることの方が多いです。

 試みに当時の旅行記等の文献で華氏、摂氏表記に言及しているものを以下に引用してみました。これらの記述からは当時の日本人にとっては華氏表記が一般的であったことが読み取れると思います。
今日も日射は随分ひどい。懐中に豫て用意の寒暖計を出して見ると、驚くべし攝氏の二十八度だから日本流に暑さは華氏で計るとすれば九十四五度に當る。

高原操 『北半球一周』 1919年 文雅堂 p.11
露西亞では、到る處に列氏を用ひるので、華氏に慣れた僕等には、一寸直ぐ見當がつかぬ。

杉村楚人冠 『大英遊記』 1908年 有楽社 p.335

※明治時代の温度計
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※華氏と摂氏が併記されている温度計もあったそうです。
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~nozo/universe/physics/ps058.pdf


 当時の日本で摂氏と華氏がどのような存在だったか興味が出たので調べてみたところ、1895年発刊の「最近写真術」の中で、一般的に使われているのが華氏であり、学術や医療の場で使用されているのが摂氏であるという記述が見つかりました。
本邦にて使用する寒暖計に二種あり

一は多く俗間に行はれ一は専ら學術上に用ゐらる

俗間に行はるるものは華氏の寒暖計と稱し氷點(氷の温度)を三十二度とし水の沸騰したる時の温度を二百十二度と定む

學術上若くは醫師の診断等に用ゐらるるものは攝氏の寒暖計と稱し氷點を零度とし沸騰點を百度とむ、

滝沢賢四郎 『最近写真術』 1895年 桃華堂 pp.326-327

 摂氏が使われるのが学術の場に於いてということは1908年発刊の「新編家庭衛生」の中でも書かれていたのでおそらくこれが当時の日本人の一般的な認識だったのではないでしょうか。
寒暖計の度は、衞生學の方では、否な學術上では皆な攝氏を用ふ、

石原喜久太郎 『新編家庭衛生』 1908年 博文館 p.77

 1915年発刊の「知識のくら」では摂氏、列氏、華氏を使用している国についての言及がありましたが、そこでは摂氏を使っているのはフランスや世界中の学術界で、列氏はドイツやオーストリア、華氏はイギリスや日本で用いられているとされていました。
(藤井作男、西脇義二 『知識のくら』 1915年 栄文館書店 pp.202-203)



 ただ華氏が中心だったからといって摂氏が馴染みのなかったということではなかったらしく、文献を紐解いていると摂氏にある程度馴染みがあるような記述も散見されます。

 例えば1903年発刊の「初学必携学びの友」では温度計には摂氏、華氏、列氏の三種類があり、そのうち摂氏と華氏の温度計は日本で広く用いられていることに言及されていました。
寒暖計には三種あります。氷點を0度とし、沸騰點としたのを攝氏の寒暖計と申します。又この兩點間を、百八十に分けて、
氷點を三十二度とし、沸騰點を二百十二度としたのを華氏の寒暖計と申しまして、いづれも廣く用ゐられます。

丹下鎮象編 『初学必携学びの友』 1903年 煥乎堂 p.94


 華氏を主に使用していた日本がいつ頃、どのようにして摂氏への使用に切り替わっていったのかということは興味深い事だったので色々文献を調べてみましたが詳しいことは分かりませんでした。

 ただ、1942年発行の「日本語読本 巻三」の中で、当時既に摂氏が一般的に用いられているとの記述が見つかったので、おそらくは大正時代から昭和時代にかけて華氏から摂氏へと切り替わったのだと思われます。
寒暖計には、攝氏寒暖計・華氏寒暖計・列氏寒暖計といふ三つの種類があります。普通使はれてゐるのは、攝氏寒暖計と
華氏寒暖計の二つですが、日本では、おもに攝氏を使ってゐます。

日本語教育振興会 『日本語読本 巻三』 1942年 日本語教育振興会 pp.61-62




キャプチャ


「ドイツ人がスープの皿にまで温度計をつけていて日本人が驚いた話」(大正時代の海外旅行記:『世界一周』)


 こちらは1918年に発刊された欧米旅行記「世界一周」で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


参考文献:日本青年教育会編 『世界一周』 1918年 日本青年教育会
関連記事
【宣伝】暇劇の同人誌(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(絵画篇)』)が完成しました。
【宣伝】暇劇の同人誌第二弾(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(入浴文化篇)』)が完成しました。

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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ




●こちらはドイツでスープの皿にまで温度計が使われていることについての記述です。
獨逸人の頭腦の如何に科學的であるかといふことは、例へば入浴するにしても、攝氏の三十八度と註文すれば、女中は其の加減を
して入れてくれる。近頃ではスープ皿にも寒暖計がつけてあつて、攝氏何度のスープなどといふ自分の嗜好に適したものを吸ふことが出来る
といふ工合(ぐあい)に、寧ろ奇抜に過ぎてゐる位である。

日本青年教育会編 『世界一周』 1918年 日本青年教育会 p.156

【要約】
 ドイツ人は湯温を指定すればその通りに準備してくれることを例に挙げて、科学的な国民であるとし、スープ皿にも温度計をつけて好みの温度で飲むことが出来るほどであるという内容です。

【備考】
 流石にスープの皿にまで温度計がついているという記述を見たのはこれが初めてのことですが、このように温度計を使って正確に計るというドイツ人のやり方に当時の日本人は驚いていて、旅行記の中で言及されているのをよく見かけます。

 このことは大抵、浴室に温度計が備え付けられているということで話題にされることが多く、それを以てドイツ人の事を杓子定規であったり科学的な国民であると述べている記述が目立ちます。

 以下の1901年発刊の「欧米小観」でもその話題に言及されていることは以前の記事で紹介しました。
殊に注意深き浴場には、湯の中に寒暖計を備へて、冷熱を計つてあるが如きは、實(じつ)に其用意の周到に驚かざるを得ないのだ。

大橋乙羽 『欧米小観』 1901年 博文館
関連記事
「日本とフランスでの芸術家の社会的地位の違い etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米小観』)

僕の泊つて居るホテルの風呂には寒暖計が備へ附けてあつて、是を以つて湯の温度を知る事が出來る様になつて居る。是も矢張り獨逸の規律的學術的に出來て居る一例と見て能からう。

坪井美雄 『異国土産蛙のたはこと』 1914年 東京国文社 p.150

※1900年頃のドイツの浴室
geography-travel-germany-berlin


 1924年発刊の「面白いうちに根本のわかる理科の話」によれば、当時の日本人はあまり温度計を使用したりしないのが一般的だったようなので、その分ドイツで盛んに温度計が用いられているのが印象的だったのかもしれません。
一般に日本人は寒暖計を利用せないで役に立たぬ無用の長物と見て居るものものある。これは温度といふことを知らない罪であつて、何も寒暖計の罪ではない。

水木梢 『面白いうちに根本のわかる理科の話』 1924年 三共出版社 p.105



 また、寒暖計に関して現代の当時の日本で違っていることに摂氏を使うか華氏を使うかということがあります。現代の日本人だと華氏表記をされてもよく分からないという人が大半だと思いますが、当時はそちらの方が主流だったようです。

 上述の記述内で「攝氏の三十八度」としているように明治~大正時代の日本でも摂氏表記は使われていたようですが、これはどちらかといえば少数派で当時の旅行記では華氏で記述されていることの方が多いです。

 試みに当時の旅行記等の文献で華氏、摂氏表記に言及しているものを以下に引用してみました。これらの記述からは当時の日本人にとっては華氏表記が一般的であったことが読み取れると思います。
今日も日射は随分ひどい。懐中に豫て用意の寒暖計を出して見ると、驚くべし攝氏の二十八度だから日本流に暑さは華氏で計るとすれば九十四五度に當る。

高原操 『北半球一周』 1919年 文雅堂 p.11
露西亞では、到る處に列氏を用ひるので、華氏に慣れた僕等には、一寸直ぐ見當がつかぬ。

杉村楚人冠 『大英遊記』 1908年 有楽社 p.335

※明治時代の温度計
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※華氏と摂氏が併記されている温度計もあったそうです。
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~nozo/universe/physics/ps058.pdf


 当時の日本で摂氏と華氏がどのような存在だったか興味が出たので調べてみたところ、1895年発刊の「最近写真術」の中で、一般的に使われているのが華氏であり、学術や医療の場で使用されているのが摂氏であるという記述が見つかりました。
本邦にて使用する寒暖計に二種あり

一は多く俗間に行はれ一は専ら學術上に用ゐらる

俗間に行はるるものは華氏の寒暖計と稱し氷點(氷の温度)を三十二度とし水の沸騰したる時の温度を二百十二度と定む

學術上若くは醫師の診断等に用ゐらるるものは攝氏の寒暖計と稱し氷點を零度とし沸騰點を百度とむ、

滝沢賢四郎 『最近写真術』 1895年 桃華堂 pp.326-327

 摂氏が使われるのが学術の場に於いてということは1908年発刊の「新編家庭衛生」の中でも書かれていたのでおそらくこれが当時の日本人の一般的な認識だったのではないでしょうか。
寒暖計の度は、衞生學の方では、否な學術上では皆な攝氏を用ふ、

石原喜久太郎 『新編家庭衛生』 1908年 博文館 p.77

 1915年発刊の「知識のくら」では摂氏、列氏、華氏を使用している国についての言及がありましたが、そこでは摂氏を使っているのはフランスや世界中の学術界で、列氏はドイツやオーストリア、華氏はイギリスや日本で用いられているとされていました。
(藤井作男、西脇義二 『知識のくら』 1915年 栄文館書店 pp.202-203)



 ただ華氏が中心だったからといって摂氏が馴染みのなかったということではなかったらしく、文献を紐解いていると摂氏にある程度馴染みがあるような記述も散見されます。

 例えば1903年発刊の「初学必携学びの友」では温度計には摂氏、華氏、列氏の三種類があり、そのうち摂氏と華氏の温度計は日本で広く用いられていることに言及されていました。
寒暖計には三種あります。氷點を0度とし、沸騰點としたのを攝氏の寒暖計と申します。又この兩點間を、百八十に分けて、
氷點を三十二度とし、沸騰點を二百十二度としたのを華氏の寒暖計と申しまして、いづれも廣く用ゐられます。

丹下鎮象編 『初学必携学びの友』 1903年 煥乎堂 p.94


 華氏を主に使用していた日本がいつ頃、どのようにして摂氏への使用に切り替わっていったのかということは興味深い事だったので色々文献を調べてみましたが詳しいことは分かりませんでした。

 ただ、1942年発行の「日本語読本 巻三」の中で、当時既に摂氏が一般的に用いられているとの記述が見つかったので、おそらくは大正時代から昭和時代にかけて華氏から摂氏へと切り替わったのだと思われます。
寒暖計には、攝氏寒暖計・華氏寒暖計・列氏寒暖計といふ三つの種類があります。普通使はれてゐるのは、攝氏寒暖計と
華氏寒暖計の二つですが、日本では、おもに攝氏を使ってゐます。

日本語教育振興会 『日本語読本 巻三』 1942年 日本語教育振興会 pp.61-62




キャプチャ


「個人がやった事に怒るの?」政府、韓国の安倍首相土下座像を非難。

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韓国の慰安婦に土下座像「日韓関係に決定的影響」 菅官房長官
菅義偉官房長官は28日午前の記者会見で、韓国北東部の江原道平昌にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を設置したことについて「事実関係は確認していない」としつつ、「国際儀礼上、許されない」と強い口調で非難した。その上で「仮に報道が事実であれば日韓関係に決定的な影響を与えることになる」とも語った。
続く↓

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アメリカ「お前ら両親を何て読んでる?俺はママとパパだ」

スレッド「お前ら両親を何て呼んでる?」より。
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引用:4chan


(海外の反応)


1 United States of America(USA)(アメリカ)万国アノニマスさん 
お前ら両親を何て呼んでる?
俺はママとパパだ
しかし弟はファーストネームで呼んでいる(笑)


2 Brazil(ブラジル)万国アノニマスさん
親を名前呼びとか何があったんだ?


 United States of America(USA)(アメリカ)万国アノニマスさん 
あいつは両親への敬意がゼロだから


3 Ireland(アイルランド)万国アノニマスさん 
本人と会話する時はマムとダッド
他人の前ではマイマザーとかマイファザーだね

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「ホントかよ?!」アベノマスク、更に8千万枚発注→配布へ。

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布マスク8千万枚、今後さらに配布 不要論噴出でも…9業者に発注済
政府が新型コロナウイルスの感染防止策として始めた布マスクの配布事業で、介護施設や保育所など向けの布マスクの発注と製造が続き、今後さらに約8千万枚を配る予定であることが厚生労働省などへの取材でわかった。全戸向けの配布は6月に終わり、すでに店頭でのマスク不足も解消されて久しい。配布はいつまで続くのだろうか。
続く↓

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