「日本人とイギリス人では『東風』のイメージが全く違う」(明治時代の西洋案内書:西滸生『実地遊覧西洋風俗記』)


 こちらは明治時代に郵便報知新聞社の社員だった西滸生が洋行から帰った後に書いた西洋案内書(『実地遊覧西洋風俗記』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


参考文献:西滸生 『実地遊覧西洋風俗記』 1887年 兎屋支店
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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ
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●こちらは日本人とイギリス人の東風に対するイメージの違いについての記述です。
春、秋、冬の三期に於て倫敦(ロンドン)にて最も厭なる心地するハ東風なり

蓋し此風ハ北のかた遥かに魯西亜(ロシア)日耳曼(ゲルマン)の氷雪の上を捲き来るが故にや其寒き事非常なり

是を以て英國にてハ通例東風と云へバ病人抔(など)には最も宜しからざるものの如く謂ふなり

日本支那抔にて東風とさへ云へバ何となく和らぎて長閑に面白き者の様に思ハるる習慣とハ大變(たいへん)の相違なり

西滸生 『実地遊覧西洋風俗記』 1887年 兎屋支店 pp.166-167

【要約】
 イギリスでは東風は寒くて病人には悪い風だと嫌がられているのに対して、日本や中国では東風には長閑なイメージがあり、この点が大きく違っているという内容です。

【備考】
 「東風」から最初に連想したのは菅原道真が詠んだ「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」でした。この短歌の意味は「春が来たら(大宰府にいる私の所まで)梅の香りを東風にのせて届けてね」というものです。

 これは菅原道真が大宰府に左遷された時の短歌なので長閑とは言えませんが、「東風」と「春」が結び付いている事がよく分かる歌だと思います。

※関連画像(北野天神縁起絵巻)
キャプチャ
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/224709/1

 ここまで書いていて「馬耳東風」という四字熟語があったことを思い出して何故これが北風でも南風でも西風でもなく「東風」なのかということが気になり調べてみましたが、ここでも「東風」が心地良い春の風というイメージが関係しているそうです。
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。

出典
李白「王十二の寒夜独酌く懐い有るに答う」(詩)。「世人此れを聞きて皆頭を掉る、東風の馬耳を射るがごとき有り」(世の人はこれを聞くと皆頭をふって聞き入れない。まさに春風が馬の耳に吹きつけるようなものだ)

馬耳東風の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典

 この「馬耳東風」のように、「東風=春」という記号が中国から輸入された文化という可能性もあるのではないかと思ったのですが、実際日本でも気象学的には「東風=春」で合っているそうです。
偶然の一致ですが、東風は気象学的に言っても「春風」。2月は、これまでの北風から、だんだん暖かな東風が吹くような日が少しずつ増えてくる季節です。

ウメの花の咲くころに吹く風とは?

 ただ、その一方で「春一番」といえば東風ではなく南風のことを指すので、日本の春は東風と南風のどちらがよく吹くのかということも調べてみたのですが、手持ちの資料には気象学に関する書籍が全く無く、インターネットでググっても詳細は不明でした。もし気象学に詳しい方がいらっしゃれば是非教えてください。
春一番

冬の間吹き続けた北風に変わって、春先最初に吹く南風の暴風。1859年、長崎県壱岐の漁師53人が突風に襲われ、遭難したのをきっかけに、漁師の間で春一、春一番と呼び習わされたもので、日本海で低気圧が発達したときに吹きやすい。
ほのぼのとした名前とは裏腹に全国的に大荒れの天気となり、海は大シケ。しかも翌日には風が強い北風に急変して、冷え込むことが多い。

楽しい気象学入門 -第1回- 春一番


 イギリスの諺で東風に言及したものをどこかで見かけた記憶があったのでググってみたところ以下のような諺でした。
When the wind is in the east,
'Tis neither good for man nor beast;
When the wind is in the north,
The skillful fisher goes not forth;
When the wind is in the south,
It blows the bait in the fishes' mouth;
When the wind is in the west,
Then 'tis at the very best.

When the Wind is in the East

 この諺は訳すと「東風は人にも動物にも悪く、北風が吹いていると熟練の漁師も漁をしない、南風は魚が口にくわえている獲物を吹き飛ばすほどで、西風が最も快適な風」という感じになります。

 更にイギリスの東風について色々調べていたところ、海外の質問サイトで次のような質問がされているのを見つけました。
 関連:Why would the “wind blowing in the East” be considered a bad thing?

 これはBBCが制作したチャールズ・ディケンズ原作の「荒涼館」というテレビドラマの中で、登場人物のジョン・ジャーンディスが何か厄介な事が起きた時にいつも「東風が吹いている」と愚痴を言うのは何故なのかという質問です。

 ちなみにその質問に対しては「イングランドの東風はバルト海や北極の方から吹いてくるから『荒涼』としてるんだ。『荒涼館』ってタイトルにピッタリでしょ」と回答されていました。

伯母に育てられていた孤児のエスターは、伯母の死後、荒涼館の主ジョン・ジャーディスに引き取られる。彼女は家政を取り仕切り、ジャーンディス氏の信頼を得ていく。

一方、信託財産と土地所有を巡るジャーンディス事件でデッドロック卿の顧問弁護士タルキングホーンは、事件関係の書類の筆跡を調べているうちに、身元不明の代書人ネーモーが死んでいるのを発見する。

ヴィクトリア朝の腐敗した社会制度を批判的に描くディケンズ長篇を映像化。ミステリー、探偵小説の要素もある内容となっている。





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※東風
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※西風
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※南風
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※北風
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外国人「東京にとんでもないデザインのベンチがあるんだが…」

スレッド「東京にあるこのベンチはとんでもないデザインだ」より。
WGjX5C1
引用:Reddit


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
東京にあるこのベンチはとんでもないデザインだ


2No infomation万国アノニマスさん
ムカデ人間じゃねーか


3No infomation万国アノニマスさん 
デザインした人はあのかなり病んだ映画が好きなんだな

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「イギリス人は西洋では『大食漢』ということで有名」(明治時代の西洋案内書:西滸生『実地遊覧西洋風俗記』)


 こちらは明治時代に郵便報知新聞社の社員だった西滸生が洋行から帰った後に書いた西洋案内書(『実地遊覧西洋風俗記』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


参考文献:西滸生 『実地遊覧西洋風俗記』 1887年 兎屋支店
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【宣伝】暇劇の同人誌(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(絵画篇)』)が完成しました。
【宣伝】暇劇の同人誌第二弾(『幕末・明治期の西洋人が見た日本(入浴文化篇)』)が完成しました。

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明治時代の海外旅行記で面白かったところのまとめ




●こちらはイギリス人の大食いについての記述です。
英人の大食ハ歐羅巴の名取にて佛國(フランス)抔(など)に参りても英人なりと申せハ何ハ扨置(さてお)き一番に燒牛肉とウデ藷(いも)とを山の如くに持て來るを常とすとハ英人が自身に語りて打笑ふ所なり

是ハ男子のみならす婦人にても随分の大食にて彼の世界の美人の標準(しなさだめ)に支那の足、伊太利の髪、佛國の愛嬌、英國の唇と竝(な)らべ稱(しょう)さる程唇薄く口元愛らしく生れつき乍(なが)ら其愛らしき口元にて食べるハ食べるハ大抵の日本男子ハ迚(とて)も叶ひ染めぬ程に候

西滸生 『実地遊覧西洋風俗記』 1887年 兎屋支店 p.9

【要約】
 イギリス人はヨーロッパでは大食漢ということで有名で、イギリス人がフランスに行って自分がイギリス人だということを伝えるとローストビーフと茹でたジャガイモを山のように持ってくるという内容です。

【備考】
 この記述を読んで最初に思い出したのが以前、戸川秋骨の「欧米紀遊二万三千哩」を記事にした時コメント欄で読者の方が貼って下さった画像のことでした。
 キャプチャ

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 「日本とフランスの接客の違い etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米紀遊二万三千哩』)

 これはイギリス国家/典型的イギリス人像を擬人化したジョン・ブルというもので、ほとんどの場合太った男性として描かれています。
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 記述によれば当時のイギリス人は大食漢としてヨーロッパで有名ということなので、ジョン・ブルの肥満体型にはそのようなイメージが反映されていたのでしょう。

 とはいえ戸川秋骨の「欧米紀遊二万三千哩」を取り上げた記事でも紹介したようにアメリカ人の食事量も日本人の目から見ると多いとされています。
米国の一人前と云ふのは二人前の事である、――少くとも余は左様解釋した――

戸川秋骨 『欧米紀遊二万三千哩』 1908年 服部書店 p.391

 また、1914年発刊の「欧米都市とびとび遊記」でもドイツ人が一日五回も食事をすることを著者の田川大吉郎が初めて聞いたときに仰天していますが、当時の日本人から見れば西洋人の食事は大体量が多いと書かれていることが多いです。
(田川大吉郎 『欧米都市とびとび遊記』 1914年 二松堂書店 p.115)

 その西洋人の中でもイギリス人が大食漢として有名だったということですから、食事の量も相当多かったであろうことが簡単に想像できます。


 肥満について調べている最中「The National Kidney Foundation」に掲載されていたGarabed Eknoyanの「肥満の歴史」を見つけて読んでみたのですが、肥満の価値観の変遷を簡潔にまとめていてなかなか興味深い内容でした。
 ソース:A History of Obesity, or How What Was Good Became Ugly and Then Bad

 内容を要約すると、人類の歴史では食料が不足していた時期が大半だったので肥満体への理想が様々な芸術作品に反映されていること(例:ミケランジェロの女性像)、その傾向が近代にいたるまで続いていたということを述べています。

 ※ミケランジェロ、「Night」
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 また、文学の中では太っているキャラクターが外向的に描かれている一方(セルバンテス『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンサ、シェイクスピア『ヘンリアド』のフォルスタッフ)で、痩せているキャラクターは内向的に描かれている傾向があるとしています(セルバンテス『ドン・キホーテ』のドン・キホーテ、シェイクスピア『ハムレット』のハムレット)。

セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する従者。短身肥満の大食漢で,その嗜欲と地上的常識によって,主人公の狂った理想主義と鮮かな対照をなす。

サンチョ・パンサ


サー・ジョン・フォルスタッフ(Sir John Falstaff)は、ウィリアム・シェイクスピアの作品(ヘンリアド)に登場する架空の人物。

大兵肥満の老騎士。臆病者で「戦場にはビリっかす」、大酒飲みで強欲、狡猾で好色だが、限りないウィット(機知)に恵まれ、時として深遠な警句を吐く憎めない人物として描かれ、上演当時から現代に至るまでファンが多い。

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フォルスタッフ

 この傾向は18世紀頃から変化し始め、20世紀後半になってからようやく肥満が「醜い」ものとして描かれるようになったと書かれていました。


 The Telegraphは「イギリス人は何故デブったのか」という記事の中で、最近のイギリスは西ヨーロッパでも有数の肥満国になっているとし、1957年の時点では11歳の子供は1割未満が「太り気味」「肥満」であったのに対して、2012年ではその数字が約25%になっている等のようなデータを紹介してイギリス人の肥満率がこの数十年で増加しているとしていましたが、上記を勘案すると「再び」を付け足す方が合っているのかもしれません。
 ソース:How did Britain get so fat?

 ※関連画像
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 記述後半にある各国の「美人の標準」というのも大変興味深い内容でした。中国が足、イタリアが髪、フランスが愛嬌、イギリスが唇を重視しているということで、当時の日本ではどのような部分が美人の条件として重要だったのか気になったのですが、それを調べる為に読んだ1906年発刊の「日本美人史」がとても興味深い内容でした。

 そこでは平安時代の美人について「枕草子」や「大鏡」の記述を例に挙げて次のように述べています。
當時の美人相といふものは所謂面長のキリリとしたのよりも、丸顔のしもぶくれで、素より色は白く、髪は房々とながく、眼尻などに愛嬌のあるのが美人であつたらしい。

栗島狭衣 『日本美人史』 1906年 尚友館 p.7

 また江戸時代では元禄の頃から美人のイメージが、戦国時代の頃のそれと比べると大きく変化したとしています。
徳川の初世はまだ武張ツた時代だから、戰國時代の嗜好がどれほども進化して居らぬ、然るに元禄の小袖幕が切て落とされ柔弱とか淫靡とかいふ時代の好みが、美人の上にも應用されては、其好も一變して、師宣の繪にもあるやうなフツクリと優しげな美人がもて囃された、

斯うなれば雄々しげな戰國の好は、全く裏返しになつて、飽くまで女らしいのでなくてならぬ、

然るに又歌麿時代の美人を見ると、面長の眼に艶のある、華奢姿を重に描かれてゐる、以來北齋となり、豐國となり、榮泉となつては、全く江戸趣味になつて来て、意氣に艶をもつた美人を第一に描かれてある、

栗島狭衣 『日本美人史』 1906年 尚友館 p.121

 肝心の当時(明治時代)の美人については関東美人と関西美人に分けていて、関東美人について次のように述べています。なお著者は関東美人推しのようですが、「關西美人ともいふ者が跋扈して居る」と書かれていたので当時好まれていたのは関西美人の方だったようです。
彼等は肌膚の白い事と、顔の圓く肥えてゐる事と、體力の肉感的に發達してゐる事とは、到底關西美人には及ばないが、キリリと締つた容貌の品位に富んでゐる事と、物にめげぬ心性の强味とは、たしかに比類の無いものといつてよい、

栗島狭衣 『日本美人史』 1906年 尚友館 p.165



キャプチャ


「日本が画期的過ぎるマスクを開発!♡」

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音声認識で伝わるスマートマスクの可能性
マスクを着けたままソーシャルディスタンスを保ち、コミュニケーション。 声が通りにくかったことはないだろうか。
そんな問題を、ロボット開発のベンチャー企業が解決しようとしている。
ロボットの開発を行うベンチャー企業のドーナッツ ロボティクスが開発している翻訳ロボットは、訪日外国人向けに、羽田空港での導入を予定している。
そんなロボットベンチャーが、新たにマスクの開発に乗り出した。話した内容が、スマホの画面に・・・現在開発中の「スマートマスク」だ。
マスクの中に音声を認識するマイクが搭載されていて、スマートフォンにBluetoothで送る仕組み。
マスクをしたまま2メートル離れた人とコミュニケーションを取るのは、なかなか難しい。意思の疎通がなかなか取りづらいし、実は仕事をする側はもっと離れたいと思っている。わたしたちのスマートマスクが世の中に普及すれば、離れたところでも、声と文字でコミュニケーションを取ることができる」
早ければ、2020年の秋の販売を予定している。
詳細↓

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外国人「日本で手話対応のスターバックスが誕生したらしいぞ!」

手話で接客するスタバ、27日に開業 国立市に
スターバックスコーヒージャパンは27日、聴覚に障がいのある従業員を中心に指さしや手話などで接客するカフェを東京都内に開業する。同社が推進するダイバーシティ活動の一環で、多様な働き方や障がい者の新たな雇用創出を後押しする。東京都国立市のろう学校近くに「スターバックスコーヒー nonowa 国立店」を開業する。「サイニングストア」と称して、従業員25人のうち19人が聴覚に障害を持つ。手話が共通言語で、接客や店員同士のコミュニケーションは主に手話や指さしで行う。手話を知らない顧客にも楽しんで利用してもらえるよう店内には工夫をこらす。壁には簡単な手話の表現を描いた絵が並び、参考にしながら手話を知らない顧客も手話や指さしでコミュニケーションが取れる。筆談や音声での注文も可能だ。(日経新聞)
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引用:RedditFacebook


(海外の反応)


1No infomation万国アノニマスさん 
日本初の手話スターバックス!


2No infomation万国アノニマスさん
私達よりも遥かに進歩的だね!こういうのは大好きだ


3No infomation万国アノニマスさん 
しかしクレイジーなほどマスクしてるな

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