
牛を殺し、頭持ち去りか 窃盗容疑で男逮捕、岐阜岐阜県警加茂署は31日、同県坂祝町の放牧場に侵入して牛1頭(時価70万円相当)を盗んだとして、建造物侵入と窃盗の疑いで、自称フィリピン国籍の住居不詳、無職ガリンド・オスワルド・アレマニア容疑者(46)を逮捕した。死んでいた牛は4歳11カ月の黒毛和種の雌で、体長約1.8メートル、体重約500キロ。ガリンド容疑者と一緒にいた男が逃げており、牛の頭などは見つかっていない。
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スレッド「アーティストが架空のクリーチャーを赤ちゃんという脆弱な形で描いている」より。
引用:Boredpanda
アフリカ人男性をサル舎で見せ物に NYの動物園、114年後に謝罪米ニューヨーク市のブロンクス動物園を運営する団体が、1906年の1週間にわたり、中部アフリカ出身の男性を同動物園のサル舎のおりの中に閉じ込めて見せ物にしていたとして、公式に謝罪した。中部アフリカ出身のオタ・ベンガさんは1906年、ブロンクス動物園で1匹のオランウータンと一緒に鉄製のおりに閉じ込められ、何百人もの見物客の目にさらされた。1週間後には抵抗を始め、見物人を脅かすようになったことから解放された。解放後はニューヨーク市のブルックリンで牧師が運営する施設に引き取られた。しかし故郷に帰ることはできないまま、10年後に自殺した。
こちらは大正時代の新聞記者だった高原操が、大正11年(1922年)に欧米各国の新聞会社を見聞した時の旅行記(『欧米新聞遍路』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。関連記事
なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。
<原田譲二>
原田 譲二(はらだ じょうじ、1885年3月26日 - 1964年2月10日)は、日本のジャーナリスト。貴族院勅選議員。
1907年早稲田大学卒。報知新聞社に入り、1915年、東京朝日新聞社に入る。社会部長を経て、1925年、大阪朝日新聞社に入る。同社では編集局長から専務となり、1946年8月14日、貴族院勅選議員となった。
原田譲二
参考文献:原田譲二 『欧米新聞遍路』 1926年 日本評論社
日本人には展墓癖といふやうなものがあつて、外國へ來ると、よく偉人の墓を弔ふ。
紐育から連れて来た運轉手は、勿論彼等の偉大な大統領が、どこに眠つてゐるかを知らない。海に臨んだ小さな町の住民もあまり問題にはしてゐないらしく、尋ね尋ねて、やつと丘の上に辿りついた。
その國の國民さへもが忘れて顧みないのに、わざわざ日本の一無名氏が、遠路自動車を飛ばして参詣する。地下のローズヴェルトも合點が行くまいが、土地の人は猶更不思議に思つたであらう。
過去を懐かしむ心、故人を追慕する情、かういふものは日本人の特質と思はれる。
原田譲二 『欧米新聞遍路』 1926年 日本評論社 p.96
此日の墓参は、敢て弔魂の爲めでは無く、むしろ謝恩と云ふべきであらう。五十餘年前の開國の恩人に、平和の大使を以て任ずる、渡米實業團の團長が、特に一日を割いて墓参をするのは、元より當然の、而も大切な事である。
巌谷小波 『新洋行土産 上巻 』 1910年 博文館 p.144
中には靴ぐち踏むでも構はぬ床下の墓もある。日本人の考へから云ふと、甚だ奇異に咸ずるが、歩いて通ほらねばならぬ所にあるから仕方ない。其處は自由の國で、形式を尚ぶ東洋人の考へ及ぶ所でない。
總じて西洋の墓は彫刻的であって、咸情に訴へるのか主になって居る。
田辺英次郎 『世界一周記』 1910年 梁江堂 p.148
予は其英姿を仰いでゐる中に、脚下を見れば、圖(はか)らざりき、大老爺夫妻の墓碑の上に立つてゐるのを見て愕然として去つた。
されど偉人英雄の墓を踏むの無禮を爲(せ)じとならば、此の寺院に入(い)ることは出來ぬ。
桜井鴎村 『欧洲見物』 1909年 丁未出版社 pp.112-113
庭の入口にあるその墓地には、ワシントンがここに休息すと記してある。死んだとは記しては無い。
死に對する咸念に、どうしても多少の差があるやうだ。
田川大吉郎 『欧米都市とびとび遊記』 1914年 二松堂書店 pp.220-221
日本人の性格には二つの評価できる特質がある。一つは死者に対して敬意を払うことであり、いま一つは墓地を美しく魅力的にするためにあらゆる気配りをすることである。
東京の墓地は美しさの点では京都には勝てないものの、数多くの墓地はいずれも手入れがよく行き届いており、上は将軍たちが「礼を尽くして葬られ」ているしばや上野の壮麗な廟から、下は人夫の遺骨が眠るとても質素な墓に至るまで、死と生という点では何の厳然たる違いもない。
イザベラ・バード 『完訳日本奥地紀行4』 2013年 平凡社 p.32
東洋の大半の墓地がそうであるように、日本人の墓地にも独特の優美で詩的な趣がある。常に変わらず美しい場所にあって、見晴らしの良い丘の斜面の大きな木の陰に集まっている。
アルフレッド・ルサン 『フランス士官の下関海戦記』 1987年 新人物往来社 p.172
われわれは、われらが死者のために、自然のふところに抱かれたかくも壮麗な墓所を選んだことはかつてない。
A・ベルソール 『明治滞在日記』 1989年 新人物往来社 p.12
群馬県藤岡市上落合の宗永寺(清章司住職)に隣接する墓地が荒らされ、約70基の墓石が倒されていたことが23日、分かった。複数の墓石が破損したほか、灯籠や地蔵、花立てなどにも被害が及び、群馬県警藤岡署は器物損壊事件として捜査を始めた。市内の別の墓地でも墓石が倒される被害が相次いで確認されており、同署が関連を調べている。
藤岡で墓石倒し 宗永寺で70基 灯籠や地蔵も被害 藤岡署が捜査 市内の他地域でも相次ぎ確認
エンゼルスの大谷翔平投手(26)が30日(日本時間31日)、本拠地・アナハイムでのマリナーズ戦に「5番・DH」で先発出場。9回の第4打席に2試合連続弾となる2号3ランを放つなど4打数1安打3打点だった。チームは大谷の3ランで追い上げたが届かず5―8で敗れ、2連敗となった。大谷翔平 9回に2号3ラン!自身5度目の2戦連発 #mlbjp #大谷翔平https://t.co/05nSbY5hYh
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) July 31, 2020
Ohtani with the moonshot 🌝 pic.twitter.com/od4QW3fFKH
— Los Angeles Angels (@Angels) July 31, 2020
(MLBスタットキャスト担当のデビッド・アドラー記者)
大谷は99マイルの速球を押しつぶし、打球速度105マイル402フィート飛ばして左中間に着弾させた。#nicepieceofhitting(※「会心の一撃」の意味と思われる)の一つ。
Ohtani crushed a 99 mph fastball in on his hands 105 mph and 402 feet out to left-center. That's one #nicepieceofhitting. pic.twitter.com/PwgUrpyHaU
— David Adler (@_dadler) July 31, 2020