
「日本はなんでソ連に侵攻しなかったの?真珠湾攻撃よりも利口でしょ」
「戦争で大きな被害を受けたのは広島と長崎だけだと思ってた。間違ってた」
「日本の友人から”この鳥って何て言うの?”って聞かれたんだけど」
「裁判中、東條英機が背後の男から坊主頭を叩かれたの知ってる?」【映像】
大川周明(1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)日本の思想家。1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された。1946年3月21日に極東軍事裁判被告人選定委員会に提出された報告書によると、訴追の理由として「扇動的な書物を出版し、講演で変革を訴え、超国家主義的右翼団体を結成」「陸軍が合法的独立国家の中国から満州を奪取できるように、満州事変の陰謀をめぐらした計画」が挙げられている。しかし梅毒による精神障害と診断され、裁かれなかった。東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり、または「イッツア・コメディ!(It's a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)(我思うゆえに我ありで知られる、何らかの哲学的思想的主張を行おうとしたと言う説もある)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。
東条英機「俺の命を一度助けておきながら改めて死刑って酷くね?」【映像】
東條英機自殺未遂事件9月10日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが、日本占領部隊の一員であるアメリカ第8軍のロバート・アイケルバーガー司令官に戦争犯罪人に関する指令を出す。敗戦後の内閣にあって陸軍解体の役目を引き受けていた陸軍大臣下村定は、この日、東條を陸相公邸に招き、自決しないで昭和天皇のために尽くすよう求めている。9月11日午後3時ごろ、表が騒がしいのを聞いて、東條は妻勝子に知人の家に身を寄せるように命じて家から出した。午後4時ごろ、アメリカ軍憲兵(MP)の一行が東條の自宅に到着。玄関の扉越しに話をしたいと告げると、玄関右側の窓から東條が顔を見せて正式の逮捕かどうかと通訳を介して尋ねた。MPが逮捕令状を見せて、すぐ支度するように求めると、東條は同意して玄関を開けると言って窓を閉めた。4時17分ごろ、玄関が開く代わりに1発の銃声が響いた。東條を「殉教者にしてはならない」と侵略戦争の首謀者として断罪することを決めていたマッカーサーの指示の下、東條にはアメリカ軍による最善を尽くした手術と看護を施され、奇跡的に九死に一生を得る。外務大臣の重光葵は東條の自決未遂を知ると、日本政府を通さずに逮捕に向かったこと、ならびに重体にもかかわらず連行したことについて、GHQに対して鈴木公使から抗議を入れさせた。
「1960年代の日本を見てみよう」【映像】
英の大学、3000年前の瀬戸内海でサメに襲われた人の骨を発見【噛み痕790か所】

3000年前に埋葬された日本人、世界最古の「サメの犠牲者」だったイギリス・オックスフォード大学が、興味深い論文を発表した。縄文時代に埋葬されたひとりの日本人が、世界最古の「サメの犠牲者」だというのだ。岡山県の津雲貝塚から発掘された成人男性の骨を放射性炭素年代測定したところ、男性は紀元前1370年から1010年の間、つまり約3000年前の縄文時代を生きた人物だと判明。激しい損傷がみられたその遺骨には、のこぎりの歯のような傷が790も確認された。トラザメかホホジロザメの可能性が高いという。右足はサメに咬まれて失われていたが、ちぎられた左足は胴体の上に置かれていたため、男性はすぐに埋葬されたものと推測されている。オックスフォード大教授「男性は、漁をするため瀬戸内海を訪れたものと思われます。水中に潜り、貝などを手に入れようとしたのでしょう。ひょっとすると、最初からサメを捕まえたかったのかもしれません。縄文時代の遺跡からは、サメの歯がいくつか見つかっていますからね」詳細↓