「日本の党首が暗殺された時の映像を見てみよう」【海外反応】

浅沼稲次郎暗殺事件
1960年(昭和35年)10月12日に東京都千代田区にある日比谷公会堂において、演説中であった浅沼稲次郎日本社会党委員長が17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺された事件。

山口二矢(1943年(昭和18年)2月22日 - 1960年(昭和35年)11月2日)
日本の右翼活動家、民族主義者および反共主義者。

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【真珠湾攻撃より】「日本軍がウチを空襲した時の映像」【大規模】

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初期の日本軍の空襲
日本軍がオーストラリアに対して一連の空襲を実施した目的は、日本軍がオランダ領東インド諸島を占領したのに対抗しようとして、連合国軍が北オーストラリアにある各基地を使用するのを妨害するためだった。
1942年2月19日のダーウィン市への爆撃は、日本がオーストラリア本土に対して行った最初にして最大規模の攻撃だった。2月19日に4隻の日本航空母艦(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)はオーストラリア北西のチモール海の洋上から計188機を発進させた。これらの188機の日本海軍艦載機はポート・ダーウィンに甚大な被害を与え、アメリカ海軍の「USS パーリー」を含む9隻の船舶が沈没した。
同日午後に54機の陸上攻撃機によって実施された空襲は、市街地と王立オーストラリア空軍(RAAF)のダーウィン基地にさらなる被害を与え、20機の軍用機が破壊された。これらの攻撃に使用された弾薬量は、昨年12月に行われた真珠湾攻撃の総量を凌ぐと言われている。
避難した多くの民間人と共に、軍すらも街から逃亡してしまったため、損害の確認に手間取ることとなったが、最終的に確認できた連合国側の人的被害は251人が死亡、300人から400人が負傷し、その大部分はイギリス軍やアメリカ軍などの、オーストラリア人以外の連合国軍水兵たちだった。ダーウィン市を防衛していたオーストラリアおよびアメリカ軍はわずかに日本機4機を撃破できただけで、この一連の空襲は完全に成功した。
wikipedia

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英紙「韓国が旧日本軍の「朝鮮人慰安婦」虐殺映像を初公開」【海外反応】

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ソウル市、旧日本軍の「朝鮮人慰安婦」虐殺映像を初めて公開
ソウル市が三一節(抗日独立運動記念日)99周年を記念して27日に開催した韓日中「日本軍慰安婦国際カンファレンス」で、旧日本軍の朝鮮人慰安婦虐殺を見せる映像を初めて公開した。
終戦前の1944年、中国雲南省騰沖で朝鮮人慰安婦が虐殺されて捨てられる場面を見せる19秒間の白黒映像だ。ソウル市とソウル大人権センターが2016年と17年の2回、米国立公文書記録管理局(NARA)を訪問して資料調査と発掘作業を行った結果、撮影から70余年後に映像が公開された。
映像には朝鮮人慰安婦が旧日本軍によって殺害された後に捨てられる残酷な場面が映っている。周辺では遺体を埋葬しにきたとみられる中国軍兵士2、3人の姿も見える。連合軍164通信隊写真中隊のボルドウィン兵士が1944年9月15日に撮影したもので、映像の場所は中国雲南省騰沖と推定される。
ソウル市とソウル大人権センターはこの映像資料1点をはじめ、写真資料2点、当時の米中連合軍が作成した作戦日誌をはじめ、旧日本軍の慰安婦虐殺を裏付ける文書14点も共に公開した。映像と共に公開された連合軍情報文書には騰沖が陥落する直前の1944年9月13日夜、旧日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺したと記録されている。旧日本軍が慰安婦を虐殺したという証言、記事などが公開されたことはあるが、朝鮮人慰安婦を含む旧日本軍の慰安婦虐殺現場が撮影された映像が公開されたのは今回が初めて。
朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は「国を失って力がない祖国で女性と少女がどんな苦痛を経験したのか、あまりにも胸が痛む現実を私たちは直視している」とし「このような不幸な歴史も記録して記憶してこそ二度と繰り返さないだけに、今後もソウル市が可能なすべての力と資源を集中し、歴史を記憶して正す作業に率先していく」と述べた。
yahoo

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