海外「犠牲者?御冗談でしょ?」厚労省、被爆伝承者の海外派遣支援へ 【原爆】

_w850

被爆の記憶継承、伝承者の派遣支援 厚労省
厚生労働省は2018年度から、被爆体験を本人に代わって語り継ぐ「伝承者」の支援に取り組む。国内外での講話にかかる費用を負担するなどし、伝承者がより多くの場所で活動できるようにする。被爆者の高齢化で当事者による語り部活動が難しくなっている。伝承者の活動を支援し、記憶の風化を防ぐ狙い。
これまでは伝承者を受け入れる側が旅費や謝礼金を負担していたが、今後は全ての費用を国が負担する。広島平和記念資料館の担当者は「東京に派遣すると1泊2日で5、6万円ぐらいかかる。支援事業のおかげで予算が少ない学校なども依頼しやすくなる」と話す。
厚労省によると、17年3月末時点で被爆者の平均年齢は81.4歳。1988年には約35万人いたが30年で約16万人にまで減り、当時の記憶を語り継ぐ伝承者の育成も急務となっている。
伝承者は約100人おり、両市の資料館で来館者向けに語り部をするほか、各地の学校などに出向いて活動する。広島平和記念資料館の担当者は「今後は伝承者を遠方に派遣しやすくなり、被爆の実相がより細かく伝わるきっかけになる」と期待を寄せた。
詳細↓
nikkei

続きを読む

DNA解析 「悲報:1万年前の英国人は黒人だったわ」

48ED916B00000578-5358699-image-a-33_1517936571637

1万年前の英国人、黒い肌 骨からDNA解析
英国の洞窟で見つかった約1万年前のヒトの骨から採取したDNAを解析した結果、現在の英国に当時住んでいたヒトは緑がかった青い瞳で、肌は「浅黒い色から黒い色」だったことが明らかになった。ロンドンの自然史博物館が7日発表した。
DNA解析に基づかない手法により約20年前に行われた同じ骨からの復元では、より白い肌だと考えられており、英国内に驚きが広がっている。
研究チームは、英国にいたヒトが白い肌になったのは、これまで考えられていたよりずっと後の時代だった可能性があると分析している。
同博物館と英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのチームは、1903年に英南西部のチェダー渓谷で見つかった「チェダーマン」の遺伝子を調査。チェダーマンは中石器時代の狩猟採集民で、ほぼ完全な形で見つかった人骨としては英国で最も古い。
続く↓
nikkei

「アメリカのバスケって、なんで黒人ばっかなの?」
【卒業式】創立者「ったく、これだから黒人は#」→黒人参列者が激怒

続きを読む

【長崎原爆】「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布指示。海外「なら真珠湾や連合軍の捕虜の写真も!」

47A8C0CD00000578-5224443-image-m-8_1514721912705

「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布を指示
ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出していることが1日までにわかった。カードの裏には、法王の要請により「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている。
この写真は、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。第2次世界大戦末期に原爆が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんにより撮影された。
写真の内容と由来は短いキャプションにより説明。「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などと記している。
CNNのバチカン専門家、ジョン・アレン氏は自身のウェブサイトで、「新年を前にこの写真を公開したことで法王の立場に何か実質的なものが付け加わるわけではないが、フランシスコが年末年始の休暇期間中に特定の画像を配布するよう依頼したのは今回が初めてだ。これは法王が、写真のメッセージが今特に重要だと考えていることを示唆している」と述べた。

続きを読む

【映像】「74年前の今週、連合軍は日本から マーシャル諸島奪還を開始した」【海外反応】

1280px-Marines_storm_Tarawa

ギルバート・マーシャル諸島の戦い
太平洋戦争中のギルバート諸島、マーシャル諸島で行われた一連の戦闘の総称。マリアナ・パラオ諸島の戦いまで含めてミクロネシア一帯の島々を巡る戦闘を中部太平洋の戦いとしてとらえることもある。
ギルバート諸島・マーシャル諸島は、日本軍の防備強化が進まないうちに、アメリカ軍の飛び石作戦により突破された。日本海軍が戦前から研究していたマーシャル海域での迎撃型艦隊決戦構想は、実行できないまま崩壊した。アメリカ軍が上陸した島の日本軍守備隊は玉砕し、上陸しなかった島でも日本からの補給が途絶して孤立・遊兵化した状態で終戦を迎えたがこの間、食糧不足による飢餓や医薬品不足による疫病流行により、多数の餓死者・病死者を出した。アメリカ軍が演習を兼ねた砲爆撃を行うこともあり、それによる戦死者も発生した。
1943年11月21日、アメリカ軍はギルバート諸島への上陸を開始した。しかし、日本海軍は9月と10月の2度のマーシャル方面への艦隊出撃(いずれも空振り)により艦船用燃料が不足し、艦隊の出撃は困難な状況であった。マキン島とタラワ島では激戦の末に日本軍は全滅した。攻略支援のアメリカ機動部隊とマーシャル諸島の日本軍基地航空部隊との間ではギルバート諸島沖航空戦が11月末まで4次にわたって行われ、その後12月5日にはマーシャル諸島沖航空戦が行われた。日本軍は空母多数撃沈の大本営発表をしたが、実際にアメリカ軍が受けた損害は空母2隻損傷にとどまった。日本軍航空部隊の損害は甚大であった。
wikipedia

米「日本は中国軍による『南沙諸島の虐殺』って知ってる?」

続きを読む